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昭子女王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

昭子女王(しょうしじょおう/あきこじょおう、?-正暦5年7月7日994年8月16日))は、平安時代中期の皇族。別名・能子元平親王の嫡女。関白藤原兼通正室

藤原兼通と結婚して、藤原媓子円融天皇中宮)・藤原朝光らを生む。媓子が中宮になったのを受け、天延元年(973年)10月に無位から一気に正三位に叙せられた。この叙位は后の母は内裏に参上して后や所生の皇子女を補助するケースもあったためにそれに相応しい位階が授けられたと考えられている[1]。天延2年(974年)、村上天皇の皇女選子内親王着裳の儀を行った際には、昭子が内親王の裳腰を結び、兼通の別の妻の1人で典侍でもあった大江皎子が内親王の理髪を行っており、それぞれ正二位従四位下に叙せられている(『親信卿記』天延2年11月11日条)。これは選子内親王が生母である藤原安子の没後、安子の兄である兼通夫妻によって育てられたことによる[2]。正暦5年(994年)に病没した。

脚注

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参考文献

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  • 関口力「昭子女王」『平安時代史事典』角川書店、1994年。ISBN 978-4-04-031700-7 
  • 芳賀登ほか監修「昭子女王」『日本女性人名事典』日本図書センター、1998年、549頁。 
  • 東海林亜矢子 著「摂関期の后母:源倫子を中心に」、服藤早苗編 編『平安朝の女性と政治文化:宮廷・生活・ジェンダー』明石書店、2017年。 
  • 栗山圭子 著「兼通政権の前提:外戚と後見」、服藤早苗編 編『平安朝の女性と政治文化:宮廷・生活・ジェンダー』明石書店、2017年。