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昭哀姚皇后(しょうあいようこうごう、? - 420年)は、北魏の明元帝の夫人(側室)。皇后として追尊された。
後秦の文桓帝姚興の娘として生まれた。西平長公主に封じられた。明元帝にとついで、後に夫人となった。金人の鋳造を命じられて完成しなかったため、皇后位に登ることはなかった。しかし明元帝の寵愛は篤く、後宮での礼遇は皇后のようであった。明元帝は皇后に立てることをあきらめなかったが、姚氏はへりくだって受けようとしなかった。420年(泰常5年)5月、薨去した。明元帝は姚氏を悼んでやまず、皇后の璽綬を贈った。後に「昭哀皇后」の諡号をもって追尊され、雲中金陵に葬られた。
- 『魏書』巻13 列伝第1
- 『北史』巻13 列伝第1