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春日貞幸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

春日 貞幸(かすが さだゆき、生没年不詳)は、鎌倉時代の武将、御家人。通称は刑部三郎。禰津氏の庶流、春日小次郎貞親の子。

源頼朝に従い、文治元年(1185年)10月の勝長寿院の落慶供養や、建久6年(1195年)3月の東大寺再建供養に供奉する。承久3年(1221年)の承久の乱では、信濃から北条泰時の元に駆け付け東海道軍に合流した。6月14日の宇治川では、泰時の命により伏見津に急行し、宇治川渡河の際に敵の矢が乗馬に当たり、水中に沈むが、従者に引き上げられた。この時、子の春日小三郎、春日太郎が戦死している。泰時が渡河を強行しようとした際には、その乗馬を隠して引き留めて危急を救い、しばらくして泰時は筏によって渡河し、朝廷軍に勝利した。また6月17日には佐々木信綱芝田兼義の先陣争いの証言を求められている。恩賞として上野国内に70町歩を賜り、のちに信濃国小川荘内に替えられた。

参考文献

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  • 「鎌倉・室町人名事典」 新人物往来社 1985年
  • 「日本人名大辞典」 講談社 2001年
  • 長野県史通史編 第2巻 中世1」