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星野紗一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

星野 紗一(ほしの さいち、1921年大正10年)10月31日 - 2006年6月22日[1])は、日本の俳人。夫人は俳人の星野明世(本名 明子)。元現代俳句協会顧問。

来歴

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埼玉県浦和市(現・さいたま市)に生まれる。1933年(昭和8年)父の星野茅村や『水明』の長谷川かな女のもとで俳句を始める。1942年(昭和17年)拓殖大学を繰上げ卒業し、甲府連隊に入隊。

1946年(昭和21年)『七星会』を創刊。1955年(昭和30年)『水明』編集委員、1969年(昭和44年)『水明』運営委員、編集長。1973年(昭和48年)『水明』2代目主宰の長谷川秋子の急逝により、3代目主宰に就任[1]。1975年(昭和50年)現代俳句協会会員、のち幹事を務めた。

2006年(平成18年) 「水明」主宰を弟の星野光二に譲り、名誉主宰となる。同年6月22日、心不全のため死去[1]。享年84歳[1]

主な作品

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句集

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  • 「ねばりひき」
  • 「木の鍵」
  • 「鹿の虹」
  • 「置筏」他

随筆集

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  • 「続木の鍵」
  • 「柿の木」

出典

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  1. ^ a b c d 星野紗一氏死去/現代俳句協会顧問”. 四国新聞社. 2024年11月6日閲覧。