俺は用心棒 (映画)
俺は用心棒 | |
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I'm the Bodyguard | |
監督 | 稲垣浩 |
脚本 | 伊丹万作 |
製作 |
マキノ光雄 企画 岡田寿之 |
出演者 |
片岡千恵蔵 月形龍之介 折原啓子 |
音楽 | 伊福部昭 |
撮影 |
伊藤武夫 照明 西川鶴三 |
編集 | 宮本信太郎 |
製作会社 | 東横映画 |
配給 | 東京映画配給 |
公開 | 1950年2月19日 |
上映時間 | 89分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
『俺は用心棒』(おれはようじんぼう)は、1950年(昭和25年)製作・公開、伊丹万作脚本、稲垣浩監督による日本の長篇劇映画である[1][2][3][4]。シナリオ完成時の原題は『昔を今に』(むかしをいまに)[5]、伊丹の没後に初めて映画化された作品である[1][2]。
略歴・概要
[編集]本作のシナリオは、ロード・ダンセイニの小品『もしも』を下敷きに伊丹万作(1900年 - 1946年)が『昔を今に』のタイトルで執筆したものであるとされる[6]。伊丹は、本作の映画化をみることなく1946年(昭和21年)9月21日に亡くなったが、同年に大橋恭彦が創刊した映画雑誌『映畫藝術』(星林社)が、翌1947年(昭和22年)1月発行の第2巻第1号で「伊丹万作追悼」を特集し、伊丹の遺稿、伊藤大輔、池内岳彦(のちの伊丹十三)の文章とともに、本作シナリオを『昔を今に』のタイトルで掲載した[7]。伊丹がサイレント映画用脚本『若しもあの時』として書いたものを稲垣浩がトーキー用に再構成したものである、という説もある[6]。いずれにしても、脚本の雑誌掲載後に本作は映画化された[1][2][3][4][8]。
伊丹の生前実現しなかった作品にはほかに、『手をつなぐ子等』(監督稲垣浩、1948年)、『恋風五十三次』(シナリオ原題『東海道膝栗毛』、監督中川信夫、1952年)、『不惜身命』(原作山本有三、1942年執筆、未映画化)、『木綿太平記』(原作恩田木工、1943年執筆、同)がある[8][9]。本作は、伊丹の没後に映画化された作品としては『手をつなぐ子等』に次ぐ2作目であり、脚本専念後に映画化された作品としては生前の『無法松の一生』(監督稲垣浩、1943年)を含めて3作目である[8]。
本作を製作した東横映画、配給した東京映画配給はいずれも現在の東映の前身であり、本作の製作・公開の翌年である1951年(昭和26年))4月1日に合併し、前者は東映京都撮影所、後者は東映の営業部門となった。
本作公開当時のキャッチコピーは、
- 伊丹万作遺稿の映画化!
- 口も八丁 手も八丁 俺は天下の豪傑だ!
であった。
2013年(平成25年)1月現在、東京国立近代美術館フィルムセンターは、本作の上映用プリントを所蔵していない[10]。ビデオグラムについてはかつて発売された形跡がなく、東映チャンネルは、本作を放映した形跡がない[11]。事実上、観ることの不可能な作品である。本作の脚本については、1961年(昭和36年)11月15日に発行された『伊丹万作全集 第3巻』(筑摩書房)には収録されていない[12]。
ストーリー
[編集]江戸時代の話である。職探しの旅の途中で、浪人・寒川八郎(片岡千恵蔵)は、出会った老乞食(団徳麿)から「幸福の印篭」を買い取った。町外れの居酒屋で、悪漢(椿三四郎)と喧嘩をし、就職予定先の主人と行き違えになってしまう。落胆して歩いていたときに、ヒゲの豪傑・横田権兵衛(月形龍之介)と知り合い、道中を伴にすることになる。次の町の居酒屋では、美人の酌女・お初(折原啓子)が、大串屋の雁九郎(加東大介)にちょっかいを出されて困っているところに出くわし、八郎と権兵衛はこれを助けてやり、雁九郎はあっさりと片づいてしまう。五斗屋の親分(遠山滿)はこの一部始終を目撃、八郎と権兵衛を「用心棒」として雇うことを申し出る。
「用心棒」生活は酒を飲んだり将棋をしたりと気ままではあるが、たいへん退屈なものであった。八郎は居酒屋でお初に会えるのがたのしみであったが、お初には許婚の与吉(中野清)という存在があった。与吉は大串屋の親分(花菱アチャコ)に騙されて、大串屋の私牢に幽閉されていたのだった。八郎は、牢番(水野浩)をだまして与吉を救出し、山小屋に逃がしてやるのだった。
大串屋と五斗屋との抗争が本格化し、八郎はこんなものは馬鹿げている、として無血終結のために奔走する。まずは大串屋に飛び込んで、口も八丁で嘘を言い、親分を旅立たせて、子分たちに後を追わせた。返す刀で八郎は、役所に行って代官(澤村國太郎)の悪事を暴き、五斗屋に逃げ込む。代官の追手が五斗屋になだれ込むと、五斗屋と子分たちは一斉にそこを逃げ出した。これで町には抗争は消えた。八郎はお初に与吉の居場所を教え、この町を去った。
数年が経過した。八郎は乞食に変り果てていた。仲間の乞食(杉狂児)の言う「悪事さえはたらかなければ、乞食の身分も幸運だ」とのことばを聴いて、「幸福の印篭」を投げ捨てた。さらに月日は経過し、八郎は猿回しになっていた。ある村外れで八郎は、お初の噂を耳にする。お初は与吉に捨てられた。八郎はお初と出逢った居酒屋へ行く。お初がいた。二人は無言で抱き合うのであった。
スタッフ・作品データ
[編集]- 製作 : マキノ光雄
- 企画 : 岡田寿之
- 監督・構成 : 稲垣浩
- 脚本 : 伊丹万作
- 原案 : ロード・ダンセイニ[6](ノンクレジット)
- 音楽 : 伊福部昭
- 撮影 : 伊藤武夫
- 照明 : 西川鶴三
- 美術 : 嵯峨一平
- 録音 : 佐々木稔郎
- 編集 : 宮本信太郎
- 製作 : 東横映画
- 上映時間(巻数 / メートル) : 89分(8巻 / 2,428メートル)
- フォーマット : 白黒映画 - スタンダードサイズ(1.37:1) - 24fps - モノラル録音
- 映倫番号 : 101
- 公開日 : 日本 1950年2月19日
- 配給 : 東京映画配給
キャスト
[編集]- 片岡千恵蔵 - 寒川八郎
- 月形龍之介 - 横田権兵衛
- 岸旗江 - 旅の女
- 折原啓子 - お初
- 遠山滿 - 五斗屋親分
- 花菱アチャコ - 大串屋親分
- 加東大介 - 雁九郎
- 中野清 - 与吉
- 澤村國太郎 - 代官
- 北見禮子 - 酌取り女
- 杉狂児 - 乞食
- 団徳麿 - 老乞食
- 椿三四郎 - 悪漢
- 水野浩 - 牢番
- 岬弦太郎 - Aの役人
- 志村喬
脚注
[編集]- ^ a b c 俺は用心棒 、日本映画データベース、2013年1月23日閲覧。
- ^ a b c 俺は用心棒、 日本映画情報システム、文化庁、2013年1月23日閲覧。
- ^ a b 俺は用心棒、 映連データベース、日本映画製作者連盟、2013年1月23日閲覧。
- ^ a b 俺は用心棒 、KINENOTE、2013年1月23日閲覧。
- ^ 米田[1985], p.325.
- ^ a b c 冨士田[1985], p.254-255.
- ^ 星林社[1947], p.1.(目次)
- ^ a b c 伊丹万作 - KINENOTE、2013年1月20日閲覧。
- ^ 伊丹[1961], p.327.
- ^ 所蔵映画フィルム検索システム、東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年1月23日閲覧。
- ^ 東映チャンネル、公式ウェブサイト、2013年1月20日閲覧。
- ^ 伊丹[1961], p.1.(目次)
参考文献
[編集]- 『映畫藝術』第2巻第1号、星林社、1947年1月
- 『伊丹万作全集 第3巻』、伊丹万作、筑摩書房、1961年11月15日
- 『映画作家 伊丹万作』、冨士田元彦、筑摩書房、1985年11月 ISBN 4480870784
- 『伊丹万作』、米田義一、武蔵野書房、1985年12月
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- Ore wa Yojinbo - IMDb
- 俺は用心棒 - 日本映画情報システム (文化庁)
- 俺は用心棒 - 映連データベース (日本映画製作者連盟)
- 俺は用心棒 - 日本映画データベース
- 俺は用心棒 - KINENOTE