明石猛繁
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明石 猛繁 | |
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生誕 |
1891年10月21日 高知県 香美郡美良布村 |
死没 | 1941年7月28日(49歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1914 - 1941 |
最終階級 | 陸軍主計少将 |
指揮 | 陸軍製絨廠長 |
明石 猛繁(あかし たけしげ、1891年(明治24年)10月12日[1][2] - 1941年(昭和16年)7月28日[1][注釈 1])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍主計少将。
履歴
[編集]高知県香美郡美良布村(現在の香美市)で、明石秀太郎、秀の長男として生まれた[1]。1910年(明治43年)県立第一中学校卒を経て、1914年(大正3年)5月、陸軍経理学校(8期)を卒業した。三等主計に任官し歩兵第43連隊付となり、1920年(大正9年)歩兵第44連隊付となりシベリア出兵に従軍[1]。
1928年(昭和3年)陸軍経理学校高等科を卒業[1]。以後、近衛師団経理部員、陸軍被服本廠員兼陸軍経理学校教育部教官、関東軍司令部付などを務める[1]。1938年(昭和13年)主計大佐に昇進[1]。1939年(昭和14年)第8師団経理部長に就任し満洲国牡丹江省綏陽に赴任したが、1940年(昭和15年)末に急性腎臓炎を発症し、陸軍製絨廠員となる[1]。1941年(昭和16年)2月、陸軍製絨廠長に就任[2]。太平洋戦争直前に東京陸軍病院で戦病死し、同日、陸軍主計少将に進んだ[1][注釈 2]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考資料
[編集]- 『高知県人名事典 新版』第2版、高知市民図書館、2000年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。