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明恩寺 (大田市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
明恩寺から転送)

座標: 北緯35度02分04秒 東経132度24分29秒 / 北緯35.0345050166度 東経132.40799979度 / 35.0345050166; 132.40799979

明恩寺
所在地 島根県大田市大代町大家1310
山号 佛護山
宗旨 浄土真宗
宗派 浄土真宗本願寺派
本尊 阿弥陀如来
創建年 元和6年(1620年
開基 釋養安(山内新十郎入道養安
中興年 約1700年
中興 第5世興善律師
法人番号 9280005003805 ウィキデータを編集
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明恩寺(みょうおんじ)は、島根県大田市に所在する浄土真宗本願寺派寺院山号は佛護山(ぶつござん)。

起源

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伽藍、寺宝、他

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  • 経蔵:築約400年。数度にわたり増改築。歴代の学僧の経典、文献、古文書など所蔵。
  • 本尊:阿弥陀如来、本願寺12代宗主准如より拝領。春日作。
  • 銀杏(雌雄):樹齢約400年。参道寺院入り口。
  • 古井戸:創立当初約400年井戸が3個あったが1つは改修現在でも使用。1つは大正時代くらいまで地酒羅浮仙の源泉として提供。1つは廃止。

歴代住職

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  • 禅宗 大家 仏心寺(創立年度など不詳)
  • 大森 石金明恩寺(創立年度など不詳)
    • 1620年、山内新十郎入道養安(のちの釋養安)が上記2寺院を併合し、佛護山明恩寺(現・明恩寺)となる。
  • 開祖  釋養安(1628年没)
  • 第2世 釋教專(没年不詳、1600年代没)
  • 第3世 釋淨恩(1694年没)
  • 第4世 釋能傳(1718年没)
  • 第5世 釋興善 律師(1732年没)
    • また鴻漸、春雄、また號風山、一號一栗、又號松雲堂
    • 明恩寺 中興
    • 龍吟律師師友
    • 本願寺 能化 知空に師事[1]
    • 数多の著述、書画をのこす。
  • 第6世 釋空鏡(1758年没)補僧都、従権大僧都
  • 第7世 釋興端(1784年没)
  • 第8世 真實院釋興範(1823年没)
    • 本堂、庫裏焼失、再建
  • 第9世 釋興教(1839年没)
  • 第10世 釋興忍(1872年没)
  • 第11世 釋興隆(1916年没)
    • 浜田 楓川教校(楓川仏教中学校)開設(国中勧進、募財で竣工)、楓川教校副監に就任[2]
    • 温泉津横道信光庵創設に関し、明恩寺より内仏を移設、財政支援し、寄留地とする。
  • 第12世 賢正院釋晋郷勧学(1945年没)
  • 第13世 慈光院釋邦臣(1998年没)
  • 山内雅子(前坊守 僧侶)元サロン・デ・ボザール同人、1990年第14回サロン・デ・ボザール[6]会員展優秀賞、1992年第20回記念サロン・デ・ボザール展秀作保存特選賞、1993年ボサロン・デ・ボザール会員展入選賞
    • 本堂解体、庫裏改修、経蔵改修、他
  • 第14世 山内喬興(現住職)

蔵書、古文書、そのほか

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  • 別途

  寺社之儀ニ付被仰渡之趣御請書[7]

親戚寺

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  • 奈良:正覚寺[3][4]西光寺、他
  • 大阪:圓城寺[5]、真宗寺、託明寺、他
  • 京都:正善寺、他
  • 福井:称名寺、千福寺、弘誓寺、仏照寺、他
  • 島根:法乗寺、西勝寺、他
  • 関東:淨光院、他
  • 九州 

交通アクセス

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関連項目

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出典・参考文献

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  1. ^ 思文閣. “知空|古美術、掛け軸、日本画に関する調べ物”. 2012年5月2日閲覧。
  2. ^ 内藤正中『島根県の教育史』思文閣出版〈都道府県教育史〉、1985年。ISBN 4784203982 
  3. ^ [1]
  4. ^ [2]
  5. ^ [3]
  • 『栖栖詩文存(栖栖文存 乙)』西濃印刷,『石見銀山百ケ寺』、『新石見社寺案内』、『石見六郡社寺誌』、明恩寺過去帳、『炎』(追悼集)上林商店、他