明恩寺 (大田市)
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(明恩寺から転送)
座標: 北緯35度02分04秒 東経132度24分29秒 / 北緯35.0345050166度 東経132.40799979度
明恩寺 | |
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所在地 | 島根県大田市大代町大家1310 |
山号 | 佛護山 |
宗旨 | 浄土真宗 |
宗派 | 浄土真宗本願寺派 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 元和6年(1620年) |
開基 | 釋養安(山内新十郎入道養安) |
中興年 | 約1700年 |
中興 | 第5世興善律師 |
法人番号 | 9280005003805 |
明恩寺(みょうおんじ)は、島根県大田市に所在する浄土真宗本願寺派の寺院。山号は佛護山(ぶつござん)。
起源
[編集]- 備後守護代 山内首藤氏の一支山内(やまのうち)首藤新十郎(養安)が、月山富田城の戦いの後に、諸行無常を感じて仏門に入る事を決意し禅僧となる。大家本郷[4][5]の禅宗 仏心寺(創立不詳)を購入し本尊に数十年奉仕する。
- 元和6年(1620年)、大森(現石見銀山周辺)の真宗 石金明恩寺(創立不詳)を私財の銀50貫で購入し現在地の大家本郷に移築し、仏心寺と併合し、佛護山明恩寺(現・明恩寺)を建立、真宗に転じる。
- 学僧、学者、文人を輩出する。
- 広大な田地、山林、醸造権、など所有した。
伽藍、寺宝、他
[編集]- 経蔵:築約400年。数度にわたり増改築。歴代の学僧の経典、文献、古文書など所蔵。
- 本尊:阿弥陀如来、本願寺12代宗主准如より拝領。春日作。
- 銀杏(雌雄):樹齢約400年。参道寺院入り口。
- 古井戸:創立当初約400年井戸が3個あったが1つは改修現在でも使用。1つは大正時代くらいまで地酒羅浮仙の源泉として提供。1つは廃止。
歴代住職
[編集]- 禅宗 大家 仏心寺(創立年度など不詳)
- 大森 石金明恩寺(創立年度など不詳)
- 1620年、山内新十郎入道養安(のちの釋養安)が上記2寺院を併合し、佛護山明恩寺(現・明恩寺)となる。
- 開祖 釋養安(1628年没)
- 第2世 釋教專(没年不詳、1600年代没)
- 第3世 釋淨恩(1694年没)
- 第4世 釋能傳(1718年没)
- 第5世 釋興善 律師(1732年没)
- 第6世 釋空鏡(1758年没)補僧都、従権大僧都
- 第7世 釋興端(1784年没)
- 第8世 真實院釋興範(1823年没)
- 本堂、庫裏焼失、再建
- 第9世 釋興教(1839年没)
- 第10世 釋興忍(1872年没)
- 第11世 釋興隆(1916年没)
- 第12世 賢正院釋晋郷勧学(1945年没)
- 第13世 慈光院釋邦臣(1998年没)
- 山内雅子(前坊守 僧侶)元サロン・デ・ボザール同人、1990年第14回サロン・デ・ボザール[6]会員展優秀賞、1992年第20回記念サロン・デ・ボザール展秀作保存特選賞、1993年ボサロン・デ・ボザール会員展入選賞
- 本堂解体、庫裏改修、経蔵改修、他
- 第14世 山内喬興(現住職)
蔵書、古文書、そのほか
[編集]- 別途
寺社之儀ニ付被仰渡之趣御請書[7]
親戚寺
[編集]交通アクセス
[編集]関連項目
[編集]出典・参考文献
[編集]- ^ 思文閣. “知空|古美術、掛け軸、日本画に関する調べ物”. 2012年5月2日閲覧。
- ^ 内藤正中『島根県の教育史』思文閣出版〈都道府県教育史〉、1985年。ISBN 4784203982。
- ^ [1]
- ^ [2]
- ^ [3]
- 『栖栖詩文存(栖栖文存 乙)』西濃印刷,『石見銀山百ケ寺』、『新石見社寺案内』、『石見六郡社寺誌』、明恩寺過去帳、『炎』(追悼集)上林商店、他