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早田英興

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

早田 英興(そうだ ひでおき、生没年不詳)は、江戸時代後期の製瓦業者。通称は卯太夫。

経歴

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佐賀藩御用達の製瓦業を営む早田卯十の子として生まれる。早田家は、戦国時代の龍造寺家の旧臣の家柄であったが、鍋島家の藩政になってから下級武士に甘んじていた。しかし、副業で始めた製瓦業が当たり、藩の御用達となって繁栄を極めた。工房は現在の佐賀市久保泉町にあった。

英興は、佐賀藩第10代藩主鍋島直正により召し出され、佐賀城再建にあたって、城内に新築する館の瓦を製作するよう命じられた。その際、新築された「鯱の門」(国の重要文化財)の瓦は、英興が製作、納入したものである[1][2]。その他にも、英興の製作による瓦、父卯十の製作による瓦が数点、佐賀城の遺構から出土している。

英興の跡は、長男卯吉が継いだが、明治時代の初頭に廃業し、製粉、製麺業などを営んだ。

子孫

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英興の長男卯吉の四女は、佐賀藩士石井探玄に嫁いでいる。探玄の孫には成富政一陸軍大佐石井利雄海軍中尉龍泰寺(佐賀市)の佐々木雄堂住職らがいる。

脚注

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  1. ^ 白石原の瓦”. さがの歴史・文化お宝帳. 佐賀市 地域振興部 文化財課. 2022年8月21日閲覧。
  2. ^ 【近世】三 佐賀城と城下町 - 鯱の門と佐賀城の再建” (PDF). 佐賀市. p. 211. 2022年8月21日閲覧。