早田左衛門太郎
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時代 | 室町時代前期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 応永35年(1428年)頃 |
別名 | 林温(朝鮮名) |
幕府 | 室町幕府 |
主君 | 宗貞茂→宗貞盛 |
氏族 | 平姓早田氏 |
兄弟 | 男(船越早田氏の祖) |
子 | 六郎次郎、中尾弾正、四郎兵衛、都時羅、吾都音甫侍[1] |
早田 左衛門太郎(そうだ さえもんたろう、生年不明 - 1428年)は、室町時代前期の武士。
本姓は平氏で、対馬国下県郡尾崎を拠点として早田水軍・倭寇の首魁として活動した[1]。
概要
[編集]応永20年(1413年)以降、朝鮮や九州本土との貿易で利益を上げ、朝鮮側に官職を授けられた見返りに倭寇の鎮静化に助力している。
応永25年(1418年)に宗貞茂が死亡し、子の都都熊丸が若年で宗氏の家督を継いだ際、実権を左衛門太郎が握った。
応永26年(1419年)の応永の外寇では、早田氏が拠点としていた尾崎・船越が朝鮮軍により攻撃された。
応永33年(1426年)には朝鮮に要請し、蔚山の塩浦が倭人との交易の場として解放された[1][2]。
系図
[編集]某 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
早田左衛門太郎 (家居土寄地) | 某 (家居船越地) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
早田六郎次郎 | 中尾弾正 | 早田四郎兵衛 | 都時羅 | 吾都音甫侍 | 早田茂持 | 皮古都羅 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||