早瀨久美
はやせ くみ 早瀨 久美 | |
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生誕 |
後藤 久美 1975年4月25日(49歳) 大分県宇佐市 |
住居 | 神奈川県横浜市(2017年時点[1]) |
国籍 | 日本 |
出身校 | 明治薬科大学 |
職業 | 薬剤師 |
活動期間 | 1998年 - |
配偶者 | 早瀨憲太郎 |
受賞 |
東京都民スポーツ大賞(2013年) 横浜市スポーツ栄誉賞(2017年) |
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基本情報 | |||||||||||||||
生年月日 | 1975年4月25日(49歳) | ||||||||||||||
国籍 | 日本 | ||||||||||||||
選手情報 | |||||||||||||||
所属 | 神奈川県聴覚障害者連盟[1] | ||||||||||||||
分野 | マウンテンバイク、クロスカントリー | ||||||||||||||
役割 | 選手兼スタッフ[1] | ||||||||||||||
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最終更新日 2023年9月12日 |
早瀨 久美(早瀬 久美、はやせ くみ、1975年〈昭和50年〉4月25日[5] - )は、日本の薬剤師である。教育者で映像作家の早瀨憲太郎は配偶者で、両者とも聴覚障害者(ろう者)である。聴覚障害者として日本で初めて薬剤師免許を取得した[6][7]。デフリンピック2大会連続の銅メダリストでもある[8]。戸籍上の正式な姓表記は早瀨だが「瀨」は機種依存文字で、早瀬表記も多く用いられる[9]。旧姓は後藤[10]。大分県宇佐市出身[5][6]で、明治薬科大学を卒業[11]した。
経歴
[編集]母の実家のある大分県宇佐市内で誕生し、もとの住居である岡山県倉敷市で育ち、先天性難聴が発覚した[5]。聾学校幼稚部で発音の仕方を学び、小学校から高等学校まで千葉県の普通学校へ通学[12]した。母親は薬剤師で、自らも薬剤師を志して[7]大学で薬学を要約筆記を用いて学んだ[13]。
1998年(平成10年)に薬剤師国家試験に合格し、大正製薬に入社した[14]。1999年(平成11年)に当時の厚生省へ薬剤師免許を申請したが[14]、聴覚障害者には免許を与えないとする薬剤師法の欠格条項を根拠として、申請を却下された[15]。その後、パソコン操作を生かした仕事としてメールによる薬の相談などを担当しつつ[15]、障害の有無で一律に免許や資格を制限する不条理さを集会などで訴えて[16]220万人以上の署名を集めた[10]。2001年(平成13年)に薬剤師法改正による先述の条項の緩和を受けて免許を交付され、聴覚障害者で初めて薬剤師免許を取得した[15]。同年に大学時代に障害者団体の活動で知り合った早瀨憲太郎と結婚した[6]。
2009年(平成21年)に、夫が開く聴覚障害者向けの学習塾の生徒たちがデフリンピックに出場したことに触発され、夫と共にデフリンピックへの出場を決意する。趣味であった自転車を特訓し、ブルガリアのソフィアで開催された2013年夏季デフリンピックに出場し、マウンテンバイク女子で銅メダルを獲得した[3][17]。4年後にトルコのサムスンで開催された2017年夏季デフリンピックで日本選手団の主将を務め、マウンテンバイク女子クロスカントリー・オリンピックで2大会連続の銅メダルを獲得した[4][8]。この功績により2013年(平成25年)に東京都民スポーツ大賞[3]、2017年(平成29年)に横浜市スポーツ栄誉賞をそれぞれ受賞した[4]。2022年開催のブラジルデフリンピックでは、銀メダルを獲得した[2]。
2017年は昭和大学病院に薬剤師として勤務し[17]、調剤と聴覚障害者外来を担当している[18]。ドーピングの専門家であるスポーツファーマシストとして、デフリンピックで2009年大会から日本選手団の医薬品管理も担当している[8]。
著作物に、自身の半生を綴った『こころの耳 伝えたい。だからあきらめない。』(ISBN 978-4-06-212537-6)のほか、編書に『手話で学ぶクスリの教科書』(ISBN 978-4-8408-1144-6)、雑誌記事に『エッセイ わたしがめざす薬剤師像』(NAID 40003663269)などがある。
メディア
[編集]聴覚障害者として薬剤師免許を取得したことは当時、『TXNニュースアイ』(テレビ東京)の「念願の免許交付?薬剤師免許交付 : 聴覚障害乗り越え?」、『筑紫哲也 NEWS23』(TBS系列)の「聴覚障害者女性、薬剤師免許交付」など、各局の報道番組で報じられた[15]。報道以外の番組では2002年(平成14年)の『DoCoMo10周年記念スペシャル 情熱メッセージ「つ・た・え・た・い」[15]』(フジテレビ)、2006年(平成18年)の『奇跡体験!アンビリバボー[19]』(同)などが扱った。2005年(平成17年)にトーク番組『徹子の部屋』(テレビ朝日)に出演した[13]。
2009年に早瀨憲太郎が監督を務める全日本ろうあ連盟結成60周年記念映画『ゆずり葉-君もまた次のきみへ-』で、早瀨をモデルとした三井尚美をろう女優の貴田みどりが演じた[20]。
脚注
[編集]- ^ a b c “日本選手団名簿”. 第23回夏季デフリンピック競技大会サムスン2017 (2017年). 2017年10月9日閲覧。
- ^ a b 上原賢子「決めたら走り抜く 早瀬久美さん デフリンピック・自転車で銀メダル」『朝日新聞』2022年6月8日。2023年9月12日閲覧。
- ^ a b c 『デフリンピックメダリストを表彰!「都民スポーツ大賞 表彰式」』(プレスリリース)東京都、2013年8月30日。オリジナルの2017年10月9日時点におけるアーカイブ 。2017年10月9日閲覧。
- ^ a b c “第23回夏季デフリンピック競技大会に係る「横浜市スポーツ栄誉賞」の贈呈”. ハマスポ. 横浜市体育協会 (2017年9月3日). 2017年10月9日閲覧。
- ^ a b c 早瀨久美『こころの耳 伝えたい。だからあきらめない。』講談社、2004年7月17日、28頁。ISBN 978-4-06-212537-6。
- ^ a b c 「聴覚障害者として初めて薬剤師免許を取った早瀬久美さん」『神戸新聞』神戸新聞社、2001年7月20日、朝刊、2面。
- ^ a b 「改正薬剤師法が「夢」実現 聴覚障害の女性、晴れて免許」『読売新聞』読売新聞社、2001年7月17日、東京夕刊、18面。
- ^ a b c 「デフリンピック2017サムスン大会で日本選手団の主将を務めた早瀨久美さん」『タウンニュース』タウンニュース社、2017年9月7日。2017年10月9日閲覧。
- ^ 早瀨憲太郎; 早瀬久美 (2005年12月25日). “こんなとこで…のコト。”. 早瀬憲太郎&早瀬久美. 2017年10月9日閲覧。
- ^ a b 板倉宏予 (2012年3月). “Medical Movies Monologues: 医療映画・ドラマの呟き”. 北海道薬科大学. 2017年10月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年10月9日閲覧。
- ^ 早瀬 2004, p. 221.
- ^ 小林篤子「聴覚障害者として初めて薬剤師免許を交付された 早瀬久美さん」『読売新聞』2001年8月1日、東京朝刊、2面。
- ^ a b 「番組案内」『中日新聞』中日新聞社、2005年1月11日、朝刊、14面。
- ^ a b 長尾真「聴覚障害女性に薬剤師免許「欠格条項」見直し後、初 - 東京の早瀬久美さん」『毎日新聞』毎日新聞社、2001年7月17日、東京夕刊、9面。
- ^ a b c d e “早瀬久美”. 生存学研究センター (2004年8月6日). 2017年10月9日閲覧。
- ^ 「聞こえない薬剤師、申請3年後の免許 欠格条項見直しで厚労省」『朝日新聞』朝日新聞社、2001年7月10日、東京夕刊、14面。
- ^ a b “薬剤師の早瀨久美さんがデフリンピックに出場します”. 昭和大学 (2017年7月5日). 2017年10月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年10月9日閲覧。
- ^ 「聴覚障害初の薬剤師 あす飯田で講演会」『読売新聞』2013年11月23日、東京朝刊、26面。
- ^ “報道のindex”. 障害者欠格条項をなくす会. 2017年10月9日閲覧。
- ^ 「クローズアップ ゆずり葉」『クローバー 障がい者のための就職情報誌』第19号、ジェイ・ブロード、2009年9月、58-59頁、NCID AA12577146。