早川兼典
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 天明6年11月18日(1787年1月7日) |
死没 | 慶應4年2月29日(1868年3月22日) |
改名 | 辰次郎(幼名)→亀太郎(初名) →兼典 |
別名 |
九郎右衛門→環(たまき)(通称) →鯉翁(隠居名) |
戒名 | 南嶺院殿壽譽良還法師 |
墓所 | 鹿児島県鹿児島市冷水町の興国墓地 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 島津重豪、島津斉宣、島津斉興、島津斉彬、島津忠義 |
藩 | 薩摩藩士 |
氏族 | 早川氏 |
父母 | 父:兼備、母:整 |
兄弟 |
兼典、新之助[注釈 1]、、澤野、 浦橋(島津斉宣側室) 異母兄弟:和十郎、兼富 |
妻 | 正室:婦美 |
子 |
鶴次郎(長男)、雛(長女)、兼彜(二男)、 兼諧 |
早川 兼典(はやかわ かねつね)[1]は、江戸時代後期の薩摩藩士。早川兼彜(早川五郎兵衛)[2] [3]の父にあたる。
生涯
[編集]※月日は旧暦
- 天明6年(1786年)11月18日、早川兼備(渡殿)の長男として薩摩藩大崎御屋鋪にて生まれる。
- 文政2年(1819年)9月24日、父・兼備(安積)が大隅国始羅郡帖佐郷地頭を拝命。
- 文政3年(1820年)8月15日、父、および、祖父酔好(兼親)と共に、江戸から国許へ。
- 文政3年(1820年)10月2日、鹿児島堀之内馬場拝領屋鋪[注釈 2]に着く。
- 文政5年(1822年)4月5日、父・兼備(安積)が死去、37歳で家督を相続。
- 一代御家老組(家格一代寄合)。
- 隠居し、家督を兼彜へ譲る。隠居名として『鯉翁』と名乗る。
- 兼彜と共に、江戸屋鋪へ移る。
- 兼彜と共に、鹿児島高見馬場拝領地へ移る。
- 慶應4年(1868年)2月29日、鹿児島高見馬場拝領屋鋪にて死去。享年83[注釈 3]
人物
[編集]奉職歴
[編集]※月日は旧暦
- 時之丞様(島津重豪四男、後の有馬一純)公御附御小姓
- 重豪公御附御小姓
- 重豪公奥御小姓
- 斉興公御附奥御小姓
- 御小納戸見習
- 御小納戸
- 御小納戸頭取御小納戸勤
- 御刀番
- 江戸御留守居
- 御側御用人
- 御趣法掛
- 御側役兼務
- 御勘定奉行
- 高輪御附御側役兼務