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旧松代藩鐘楼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
旧松代藩鐘楼
情報
竣工 1801年
所在地 381-1231
長野県長野市松代町松代166-2
座標 北緯36度33分49.9秒 東経138度12分4.7秒 / 北緯36.563861度 東経138.201306度 / 36.563861; 138.201306 (旧松代藩鐘楼)座標: 北緯36度33分49.9秒 東経138度12分4.7秒 / 北緯36.563861度 東経138.201306度 / 36.563861; 138.201306 (旧松代藩鐘楼)
文化財 長野市指定文化財
指定・登録等日 1967年
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旧松代藩鐘楼(きゅうまつしろはんしょうろう)は、長野県長野市松代町松代166-2にある鐘楼。長野市指定文化財。

概要

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この鐘楼江戸時代初め、信濃国松代藩松代城下、片羽町に建設したものである。

城下町の人々に時を告げるべく、1刻(2時間)に1回鳴らした。また出火の際も鐘を鳴らして非常を知らせた。

現在、鐘楼は長野市で管理しているが、外部見学のみで内部見学は出来ない。

歴史

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  • 1624年(寛永元年) - 松代片羽町に火の見櫓と足軽割番所とともに建てられる。
  • 1717年(享保2年) - 関口火事により焼失、鐘も焼け落ちる。鐘楼が再建される。
  • 1734年(享保19年) - 城下清野村離山にて鐘が鋳造される。
  • 1788年(天明8年) - 河内屋火事により焼失したが鐘は無事だった。鐘楼が再建される。
  • 1800年(寛政12年) - 市場火事により焼失し、鐘も焼け落ちる。
  • 1801年(享和元年) - 再建される。鐘は表柴町の大英寺の鐘を借りて突いていた。
  • 1806年(文化3年) - 松代東条で鐘が鋳造される。
  • 太平洋戦争中 - 対空監視硝として使われる。鐘が金属供出に遭う。
  • 1967年(昭和42年) - 長野市指定文化財となる。

鐘楼の鐘

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鐘楼の鐘は合計5回鋳造されている。3回は火事により焼失によるもの。4回目は戦時中に金属供出でなくなり、長らく鐘がなかったが、5回目、平成3年新たに鋳造された。

隣接地

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「日本電信発祥之地」の碑
  • 鐘楼北側に火の見櫓が幕末まであったが、明治に入り、昌龍寺(長野市)の鐘楼として移築されている。
  • 南側におよそ1000人の足軽を支配、勤務割をした足軽割番所という役所が置かれていた。当初は鐘楼と棟続きであったが、焼失後それぞれ独立した建物として建設された。
  • 嘉永2年(1849年)、松代藩藩士・佐久間象山が当地で電信を成功させたことを記念し、「日本電信発祥之地」の碑が建立された。

アクセス

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外部リンク

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