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日通

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日通
天文20年 - 慶長13年
1551年 - 1608年
日通上人像・長谷川等伯筆
日通上人像・長谷川等伯
功徳院
生地 和泉国
宗旨 日蓮宗
日珖
著作 『等伯画説』、『盤究境録』
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日通(にっつう)は、安土桃山時代日蓮宗

経歴・人物

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和泉国の油屋常金の子[1]。堺の妙国寺開山である日珖に師事[1]中山法華経寺14世となり、日蓮の『立正安国論』第25紙目を身延久遠寺本を元に補筆した[2]。のち天正16年(1588年京都本法寺10世となり、このころ長谷川等伯と交流を持ち、等伯の所説を筆記した『等伯画説』を残した[1][3]

脚注

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  1. ^ a b c 『戦国人名事典』606頁。
  2. ^ 長谷川等伯(1539~1610)|法華経に支えられた人々|法話|日蓮宗ポータルサイト、2019年5月7日閲覧。
  3. ^ 『戦国人名事典』607頁。

参考文献

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