日通
表示
この項目では、本法寺の僧について説明しています。池上本門寺の僧については「日通 (池上本門寺)」を、「日通」の略称を持つ物流会社については「日本通運」をご覧ください。 |
日通 | |
---|---|
天文20年 - 慶長13年 (1551年 - 1608年) | |
日通上人像・長谷川等伯筆 | |
号 | 功徳院 |
生地 | 和泉国堺 |
宗旨 | 日蓮宗 |
師 | 日珖 |
著作 | 『等伯画説』、『盤究境録』 |
テンプレートを表示 |
和泉国堺の油屋常金の子[1]。堺の妙国寺開山である日珖に師事[1]。中山法華経寺14世となり、日蓮の『立正安国論』第25紙目を身延久遠寺本を元に補筆した[2]。のち天正16年(1588年)京都本法寺10世となり、このころ長谷川等伯と交流を持ち、等伯の所説を筆記した『等伯画説』を残した[1][3]。