日本アイ・ビー・エム野洲硬式野球部
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(日本IBM野洲硬式野球部から転送)
チーム名(通称) | 日本IBM野洲、IBM野洲 |
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加盟団体 | 日本野球連盟 |
加盟区分 | 企業チーム |
創部 | 1980年 |
廃部 | 2008年(2003年から休部) |
チーム名の遍歴 |
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本拠地自治体 |
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練習グラウンド | IBMグラウンド(滋賀県蒲生郡竜王町) |
チームカラー | 青色 |
都市対抗野球大会 | |
出場回数 | 4回 |
最近の出場 | 1996年 |
最高成績 | 2回戦敗退 |
社会人野球日本選手権大会 | |
出場回数 | 8回 |
最近の出場 | 1999年 |
最高成績 | 4強 |
全日本クラブ野球選手権大会 | |
出場回数 | ※出場資格なし |
日本アイ・ビー・エム野洲硬式野球部(にほんアイ・ビー・エムやすこうしきやきゅうぶ)は、滋賀県野洲郡野洲町に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟していた社会人野球の企業チームである。一般的には日本IBM野洲と表記されていた。2003年シーズン途中から休部し、2008年に解散した。
運営母体は、日本アイ・ビー・エム。
概要
[編集]1980年秋、日本アイ・ビー・エムでは東京チームに次いで野洲工場で『日本アイ・ビー・エム野洲硬式野球部』として設立[1]。
滋賀県では東洋レーヨンが戦後活躍した時期があったが、活動を停止してから県内に目立った力を有する企業チームはなかったが、チーム設立から5シーズン目の1984年には日本選手権に、8シーズン目の1987年には都市対抗野球に初出場を果たすなど、県内では際立つ力を保持していた。しかし、全国大会出場のためには京都府の企業チームに打ち勝つ必要があり、都市対抗は4回、日本選手権は8回の出場にとどまった。
2002年11月、翌2003年の都市対抗野球終了をもって休部することが発表され[2]、2003年は都市対抗野球の京滋奈兵2次予選で敗退となり活動を休止した。
その後、2005年に野洲工場が京セラに売却されて復活が不可能になり、2008年6月24日付けで日本野球連盟から正式に解散が公示され[3]、廃部となった。
沿革
[編集]- 1980年 - 『日本アイ・ビー・エム野洲』として創部。
- 1984年 - 日本選手権に初出場(初戦敗退)。
- 1987年 - 都市対抗野球に初出場(初戦敗退)。
- 2003年 - 都市対抗野球の2次予選敗退をもって休部。
- 2008年 - 解散。
主な大会の出場歴・最高成績
[編集]- 都市対抗野球大会 - 出場4回
- 社会人野球日本選手権大会 - 出場8回、4強2回(1995,99年)
- JABA岡山大会 - 優勝1回(2002年)
- JABA広島大会 - 優勝1回(2001年)
- JABA伊勢大会 - 優勝1回(1987年)
主な出身プロ野球選手
[編集]- 長坂健冶(捕手) - 2001年ドラフト8位で大阪近鉄バファローズに入団
- 中村泰広(投手) - 2002年ドラフト4位で阪神タイガースに入団
- 竹岡和宏(投手) - 退団後、中山硬式野球クラブ、米・独立リーグのセントポール・セインツを経て、2003年ドラフト8位で福岡ダイエーホークスに入団
元プロ野球選手の競技者登録
[編集]- 萩原誠(元:阪神タイガース、大阪近鉄バファローズ) - 内野手→退団
脚注
[編集]関連項目
[編集]- 社会人野球チーム一覧
- 都市対抗野球大会 (滋賀県勢)
- 日本アイ・ビー・エム硬式野球部 - 東京都を本拠地とし活動していた