日本近距離航空機中標津空港事故
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(日本近距離航空(エアーニッポン)墜落事故から転送)
事故機と同型機のYS-11 | |
出来事の概要 | |
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日付 | 1983年(昭和58年)3月11日 |
概要 | 操縦ミスによる墜落 |
現場 | 日本・中標津空港 |
乗客数 | 48 |
乗員数 | 4 |
負傷者数 | 52 |
死者数 | 0 |
生存者数 | 52 (全員) |
機種 | 日本航空機製造・YS-11 |
運用者 | 日本近距離航空 |
機体記号 | JA8693 |
出発地 | 丘珠空港 |
目的地 | 中標津空港 |
日本近距離航空機中標津空港事故(にほんきんきょりこうくうきなかしべつくうこうじこ)とは1983年(昭和58年)3月11日に発生した日本の国産旅客機 YS-11による墜落事故(航空事故)である。
事故の概要
[編集]1983年(昭和58年)3月11日16時17分、札幌丘珠空港発の日本近距離航空(全日本空輸の子会社[1])497便YS-11(機体記号JA8693、1968年製造)は中標津空港への着陸に失敗し、空港滑走路手前の北側約200メートルの原野に墜落。乗客・乗員52人のうち、機長と乗客3人の計4名が重傷、48名が軽傷を負った。
事故当時の気象は小雪で視界約4キロメートル、南風で風速10メートル、雲の高さ約120メートル、気温は摂氏1度と低く墜落現場には30から50センチの雪が積もっていた。
同機は16時12分ごろ1回目の着陸態勢に入ったがアプローチに失敗し、いったん上昇して右旋回のあと16時16分ごろ二回目の着陸態勢に入った所で滑走路手前200メートルの雑木林に突っ込み、高さ3メートルの立木の先端を約100メートルにわたりなぎ倒して、墜落と同時に180度回転し機首を北に向け機体は中央部の主翼付近で真っ二つに折れ「く」の字形になって止まった。 幸い炎上しなかった為、乗客・乗員は折れた機体の間から脱出した。
事故原因
[編集]1984年(昭和59年)10月18日、運輸省航空事故調査委員会は事故原因が機長の操縦ミスによるとする最終報告をまとめ公表[4]した。 報告書では事故機のプロペラ、エンジンに故障が無かったことを指摘し、
- 悪天候のもと事故機が規定高度で進入しようとした
- 着陸の為の周回経路が不適切だった
- 着陸の前にエンジン出力を上げるタイミングも遅れた
以上の3点を事故原因とした。
機長・副操縦士は業務上過失傷害他の容疑で釧路地方検察庁に書類送検されたが、不起訴となった。
参考文献
[編集]- 北海道新聞、1983年3月12日付朝刊。
脚注
[編集]- ^ 1974年に離島等の輸送改善を目的として国内航空各社の資本によって設立。1978年に全日本空輸の傘下に入り1987年には社名をエアーニッポンに変更。2012年に全日本空輸(法人としては現・ANAホールディングス)に吸収合併され現存しない。
- ^ CHO783-C26-31(1978/10/23) 1978年10月23日撮影 - 国土地理院(地図・空中写真閲覧サービス)
- ^ HO852X-C4-13(1985/07/10) 1985年7月10日撮影 - 国土地理院(地図・空中写真閲覧サービス)
- ^ 運輸省航空事故調査委員会 (1984年9月19日). “航空事故調査報告書(日本近距離航空株式会社所属日本航空機製造式YS-11A型JA8693中標津空港昭和58年3月11日)” (PDF). 国土交通省運輸安全委員会. 2014年11月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年6月30日閲覧。