マドリード・バラハス空港地上衝突事故
上空から見たマドリード・バラハス空港 | |
事故の概要 | |
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日付 | 1983年12月7日 |
概要 | 地上衝突 |
現場 | スペイン・マドリード・バラハス空港 |
負傷者総数 | 30 (イベリア機の乗員乗客) |
死者総数 | 93 (両機の乗員乗客) |
生存者総数 | 42 (イベリア機の乗員乗客) |
第1機体 | |
1981年に撮影された事故機 | |
機種 | ボーイング727-256Adv |
機体名 | Jumila |
運用者 | イベリア航空 |
機体記号 | EC-CFJ |
出発地 | マドリード・バラハス空港 |
目的地 | フィウミチーノ空港 |
乗客数 | 84 |
乗員数 | 9 |
負傷者数 (死者除く) | 少なくとも30 |
死者数 | 51 |
生存者数 | 42 |
第2機体 | |
1980年に撮影された事故機 | |
機種 | マクドネル・ダグラス DC-9-32 |
機体名 | Vasco Nunez de Balboa |
運用者 | アビアコ航空 |
機体記号 | EC-CGS |
出発地 | マドリード・バラハス空港 |
目的地 | サンタンデール空港 |
乗客数 | 37 |
乗員数 | 5 |
負傷者数 (死者除く) | 0 |
死者数 | 42(全員) |
生存者数 | 0 |
マドリード・バラハス空港衝突事故(マドリード・バラハスくうこうしょうとつじこ、英: Madrid runway disaster)とは、1983年12月7日(現地時間、CET)にスペインのマドリードのバラハス国際空港の滑走路上でイベリア航空350便とアビアコ航空134便が衝突した航空事故である。
なお、約2週間前にもマドリードで航空事故(アビアンカ航空011便墜落事故)が発生している[1]。
事故概要
[編集]1983年12月7日、濃霧の中でイベリア航空350便(ボーイング727、機体記号:EC-CFJ、バラハス空港発フィウミチーノ空港(ローマ)行き)はバラハス空港の滑走路01からの離陸許可を得た[1][2][3] 。その頃アビアコ航空134便(DC-9、機体記号:EC-CGS、バラハス空港発サンタンデール空港行き)は離陸に向けて滑走路01へタキシング中だった[2][3]。134便のクルーは霧の中で誤った場所で方向転換し、350便が離陸滑走中の滑走路に誤進入した。350便は134便を発見し、衝突を回避しようと機首上げをして離陸しようとした。しかしV2(安全離陸速度)に達しておらず、350便の胴体後部が134便に激突し、双方の機体は破壊され火災が発生した[1][2][3]。134便に搭乗していた42人全員と、350便に搭乗していた93人のうち51人(乗客50人、クルー1人)が死亡した[2][3][4]。350便の死者のうち34人は日本人観光客だった。また350便の死者の中には南アフリカ人ピアニストのMarc Raubenheimerがおり、134便の死者の中には有名なメキシコ人女優のFanny Canoがいた。
事故原因
[編集]事故調査により事故原因は、空港が視界不良であったこと、および134便の滑走路への誤進入をまねいた不十分な標識とマーキングであると判明した[2][3]。
類似事故
[編集]- リナーテ空港事故 - イタリアのリナーテ空港の滑走路上で航空機同士が衝突し118人が死亡した航空事故。
- デトロイト空港衝突事故 - アメリカのデトロイト・メトロポリタン国際空港でボーイング727とDC-9が滑走路上で衝突した航空事故。
- テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故 - スペインのテネリフェ空港の滑走路上で霧の中ボーイング747同士が衝突し、世界最悪の死者を出した航空事故。
参考文献
[編集]- ^ a b c "Madrid Cleared?", Flight International, 17 December 1983, p.1582 (online archive version) 2013年5月21日閲覧
- ^ a b c d e "ASN Aircraft accident Boeing 727 1983 12 07"
- ^ a b c d e https://asn.flightsafety.org/asndb/327513 "ASN Aircraft accident McDonnell DC-9 1983 12 07"
- ^ Madrid airport crash death toll set at 92
関連項目
[編集]- スパンエアー5022便離陸失敗事故 - 同じバラハス国際空港で2008年8月20日にスパンエアー機が離陸に失敗した航空事故。