日本製鐵大阪製鉄所
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日本製鐵大阪製鉄所(にほんせいてつおおさかせいてつじょ)は、大阪市大正区南恩加島町6に存在していた[1]日本製鐵のかつての工場である。
歴史
[編集]大阪製鐵時代
[編集]日本製鐵時代
[編集]- 1936年5月 - 日本製鐵が独立系の(旧)大阪製鐵より事業を買収 (なお、全従業員728名のほとんどは全国労働組合同盟に加盟していた[4])
- 1945年 - 空襲により被災
- 1949年4月 - 大阪製鉄所が分離され、大鐵工業株式会社が設立される (現在の大阪製鐵 大阪恩加島工場)。
関連項目
[編集]- 宗像商會コークス製造所 - 南恩加島町458にあった[1][5]。宗像商會の社長は宗像半之助[6]。なお、宗像半之助は、釜ノ浦炭坑(長崎県西彼杵郡松島村)[7]を所有していた。
- 朝鮮無煙炭礦 - 南恩加島町に工場敷地が存在していた[5]。浜岡光哲等によって1917年3月に設立され[8]、平安南道の大同郡から江西郡にある江西炭坑を操業していた炭鉱会社[9]。
出典
[編集]- ^ a b 社会部報告第六六号 大阪市工場名簿 大阪市社会部調査課 1927年
- ^ 大阪市工場一覧 大阪市役所産業部 1930年
- ^ 勞働年鑑 労働年鑑編輯所 1920年5月15日
- ^ 勞働月報 第百八十一号 大阪市社会部庶務課 1936年5月
- ^ a b 國民年鑑 國民新聞社 1919年
- ^ 国を出てゝ四十七年(大阪宗像商会社長講演録) 宗像半之助 1927年11月
- ^ 全国主要工場鉱山名簿 協調会 草間時光 1922年
- ^ 朝鮮無煙炭好望 京都日出新聞 1917年12月13日
- ^ 平壌全誌 平壌商業会議所 1927年