日本加工織布
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種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 東京府東京市神田区元岩井町39 |
設立 | 1919年12月 |
業種 | 製造業 |
代表者 | 野村保之輔(1942年時点) |
資本金 | 1,000,000円(1942年時点) |
従業員数 | 781人(1942年時点) |
関係する人物 |
木口重彦 富野由悠季 |
日本加工織布(にほんかこうしょくふ)は、かつて東京府東京市神田区元岩井町にあった防水布やゴムを製造していたメーカー。1942年(昭和17年)時点で従業員は職員・工員合せて781人[1]。1919年(大正8年)12月設立[2]。1943年12月に日加工業へ社名を変更[3][4]。1965年、西武の系列会社となり、別資本となった。1968年西武ポリマ化成へ社名[5]を変更した。
概要
[編集]1919年(大正8年)12月に野口保之輔、木口重彦らが設立した。設立後、年々需要が増えていき、日本全国に販路を持つと共に、当時の満州、中国、南洋へも販路を拡大させた。当初の製品は人工革・靴裏のゴム・防水布製造とフェルト加工品であった。また、転機となったのは、1937年に勃発した支那事変により、上海方面への需要が急増。しかし、在庫が戦禍により損害を受けるが、成長した[2]。
その後、1943年に日加工業へ社名を変更したと同時に戦時統制を受け、軍需物資(防毒衣等)を小田原工場で生産するようになる。このため、勤労動員工場としても指定された。戦後は、業績が低迷し、リストラを行うなど苦境に立たされたが復活し、1965年に西武の資本となるまで存続した[5]。
脚注
[編集]- ^ 日本代用品工業総覧 昭和17年版 p.193 , 生産と配給社 編, 昭和18年
- ^ a b 事業及人物 : 記念号 p.384, 東京電報通信社, 昭和13年
- ^ 与野市史 別巻 [5] (井原和一日記 5), 与野市教育委員会市史編さん室 編 与野市, 1995.3
- ^ 化学品取引要覧 昭和62年版, 薬品新聞社 編 薬品新聞社, 1987.7
- ^ a b 会社総鑑 1970年版, 日本経済新聞社, 昭和45年