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日本デザイナークラブ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

日本デザイナークラブ(にっぽんデザイナークラブ、Nippon Designer Club, NDC)[注釈 1]は、1948年に発足した日本のプロ・デザイナーの団体である[2]

1956年に社団法人の認可を受け、その後、東京を本部として、北海道支部、関東支部、関西支部、中部支部、九州支部、沖縄支部の全国組織となるが、2010年に本部が解散し、現在は各支部ごとに活動している[3]

設立

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雑誌『スタイル』の表紙画を描いていた松井直樹が、ストック商会の木村四郎[注釈 2]らにデザイナー同士の親睦を深める会を設けようと提案、銀座の洋装店を中心としたメンバーにより、1948年(昭和23年)3月、銀座モナミの2階で発起人会が開かれた[5][6]。発起人会に集まったのは初代理事長となる木村四郎と、塩沢沙河、牛山源一郎、田辺静江、樋口しげ子、ジョージ岡、青木清子、谷長二、松井直樹らである[5]

顧問には伊東茂平田中千代を迎えて結成された[6]。うらべ・まことの『流行うらがえ史』によれば、他に杉野芳子野口益栄山脇敏子を加えた5人となっている[7]

また少し遅れてクラブには鈴木宏子が参加している[5]。桑沢洋子『ふだん着のデザイナー』によれば、参加したメンバーとしては他に、北村静江、小堀ふみ子、マダム・マサコなどの名前が挙がっている[6]

クラブの設立は、日本において仕立て屋とデザイナーが分離することとなる契機となった[8]

1955年には[9]日本デザイナークラブから分裂する形で日本デザイナー協会(現・日本デザイン文化協会、NDK)が発足している[10]

ファッション・ショー

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1949年(昭和24年)に日劇のステージ・ショーの合間という形で、NDC最初のファッション・ショーが開催、モデルは日劇ダンシング・チームの踊り子が務めた[11]。1951年(昭和26年)に銀座のキャバレー美松で2回開催された[10]。1952年(昭和27年)には帝劇、1953年(昭和28年)には東京会館で開催された[10]。その頃に専属モデルとして東京ファッション・モデル・クラブ(TFMC)が生まれ、ショーの開催にスポンサーがつくようになった[10]

脚注

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注釈

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  1. ^ 「Nippon」としたのは「NDC北海道」での表記に準じた[1]。『ファッション辞典』では「にほん」としている[2]
  2. ^ 1973年没[4]

出典

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  1. ^ NDC北海道”. NDC北海道. 2022年4月7日閲覧。
  2. ^ a b 『ファッション辞典』文化出版局、1999年初版、2001年第2版第2刷、264頁
  3. ^ NDC北海道の概要”. NDC北海道. 2022年4月5日閲覧。
  4. ^ 木村四郎」『講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus』https://kotobank.jp/word/%E6%9C%A8%E6%9D%91%E5%9B%9B%E9%83%8Eコトバンクより2022年4月6日閲覧 
  5. ^ a b c 林 1987, p. 38.
  6. ^ a b c 桑沢 1980, p. 159.
  7. ^ うらべ 1982, p. 71.
  8. ^ 世相風俗観察会『増補新版 現代世相風俗史年表 昭和20年(1945)-平成20年(2008)』河出書房新社、2003年11月7日、27頁。ISBN 9784309225043 
  9. ^ 『繊維・ファッションビジネスの60年』繊研新聞社、2009年、17頁
  10. ^ a b c d 桑沢 1980, p. 163.
  11. ^ 桑沢 1980, p. 161.

参考文献

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  • 桑沢洋子『ふだん着のデザイナー』ほるぷ〈ほるぷ自伝選集/女性の自画像〉、1980年5月1日。 
  • うらべ・まこと『流行うらがえ史 - モンペからミニ・スカートまで』文化出版局、1982年3月14日。 
  • 林邦雄『戦後ファッション盛衰史』源流社、1987年10月24日。 

外部リンク

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