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日本アルカウ会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

日本アルカウ会(にっぽん/にほんアルカウかい[1]、正字体:日本アルカウ會)は、かつて存在した日本登山ハイキング愛好団体。大正期に兵庫県武庫郡御影町(現・神戸市東灘区御影)に設立された。

概要

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日本アルカウ会は、1914年(大正3年)に御影町の薬局主・草薙彊が設立した[2]。草薙が会長となり、副会長には山口銀行[3]の山崎彦麿が就任した[2]。会の設立は、前年の1913年(大正2年)2月25日に、草薙、河本が御影から六甲を経て有馬までを往復したことがその発端であった[4]

会員の構成および活動については、以下のような記述が残る。

会員の多くは京阪神に亘り。在郷軍人、商工業界其他,職業如何に拘らず、相携えて和気藹々、自然の美妙に親み崇高の山霊に接して身體を錬磨し精神を鼓舞し、以て平日の誠實質素より各自の業務に精勵するの資たるべき所謂アルカウの趣味を以て集まれるを以て特色とするなり[4]

活動は旅行にとどまらず、1916年に機関誌『アルカウ趣味』を発刊したのをはじめ、講演録『山岳美』の刊行(1922年)や、会歌を制定してSP盤レコードとしてリリースすることもおこなった[2]。講演録に収録されたのは、大阪毎日新聞社の主催で1921年と1922年に実施された講演会(1922年の演者は槇有恒)である[4]。赤井正二は、1921年の講演会(大阪市中央公会堂で開催)が、大阪地域における同趣向団体増加の一因になったと論じている[4]

1934年には、比良山地に独自の山小屋「望武小屋」を設置している[2]

会則(抜粋)

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以下、出典は赤井正二の論文による[4]

第一條 本會ハ山岳秀麗ノ境ニ趣味深キ遠足ヲ試ミ身神ヲ錬磨シ剛健濶達ノ氣風ヲ興スヲ以テ目的トス。以上目的ノ實行ヲ容易ナラシムルタメ毎月二三回各日曜日ニ僅少ナル費用ヲ以テ主トシテ近畿ノ山岳ニ登リ其内一回ハ特ニ阪神手近ノ山野ヲ選ムモノトス

第二條 本會ハ前記ノアルカウ趣味ヲ鼓吹スルタメ適時之二関係アル各種ノ集會圍書ノ刊行及歩行能力ノ認定等ヲ行フモノトス

脚注

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  1. ^ 歴史的仮名遣いによる表記と考えると読み方は「にっぽん(にほん)あるこうかい」となる。
  2. ^ a b c d 小川功「京都探勝会等に見る旅行愛好団体の生成と限界 地域・コミュニティが生み出した明治期の観光デザイナーたち」『彦根論叢』第396号、滋賀大学、2013年6月28日、24-37頁。 
  3. ^ 現在の山口銀行とは別の銀行(参考:銀行変遷データベースでの検索結果による)。
  4. ^ a b c d e 赤井正二「「旅行団」と「山岳講演会」 - 大正期における旅行文化の形成 -」『立命館産業社会論集』第44巻第3号、立命館大学、2008年12月、21-40頁。