広島県立日彰館高等学校
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(日彰館中学校から転送)
広島県立日彰館高等学校 | |
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北緯34度43分18.3秒 東経132度59分30.1秒 / 北緯34.721750度 東経132.991694度座標: 北緯34度43分18.3秒 東経132度59分30.1秒 / 北緯34.721750度 東経132.991694度 | |
過去の名称 | 日彰館高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 広島県 |
併合学校 |
日彰館高等学校 日彰館女子高等学校 |
校訓 | 質実剛健・衆縁和合 |
設立年月日 | 1894年 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D134210000523 |
高校コード | 34171B |
所在地 | 〒729-4211 |
広島県三次市吉舎町吉舎293-2 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
広島県立日彰館高等学校(ひろしまけんりつにっしょうかんこうとうがっこう)は、広島県三次市吉舎町吉舎に所在する公立の高等学校。
概要
[編集]- 校名の由来
- 日彰館は、日々の地道な努力によって、その人物のすばらしさが彰らかになるということであり、日々彰らかになる学校『日彰館』という意味がある。質実剛健を旨とし、生徒による切磋琢磨や鍛錬の場という意であるといえる。
- 学級数
- 現在は1学年2クラス。
- 校訓
- 「質実剛健・衆縁和合」
- 校章
- 左右にはばたく羽の絵、中央に「日彰」の文字(縦書き)を置いている。
- 校歌
- 作詞は安達彰男、作曲は松本敬太郎による。歌詞は2番まであり、校名は歌詞中に登場しない。
- 姉妹校
- 中華民国国立苗栗高級中学(台湾)
沿革
[編集]- 前史
- 旧制中学校(男子校)
- 1894年(明治27年)4月27日 - 「私立中学日彰館」(旧制中学校)が創立(創立年)。
- 1902年(明治35年)4月1日 - 「日彰館中学校」に改称。
- 1948年(昭和23年)5月3日 - 学制改革により、旧制中学校が廃止され新制高等学校「日彰館高等学校」が発足。この時点では男子校。
- 高等女学校
- 1901年(明治34年)6月1日 - 「私立中学日彰館 女子部」が設立される。
- 1902年(明治35年)4月1日 - 「日彰館中学校 女子部」に改称。
- 1912年(明治45年)4月1日 - 日彰館中学校より分離し、「日彰館実科高等女学校」として独立。
- 1919年(大正8年)4月1日 - 「日彰館高等女学校」に改称(「実科」が取り除かれる)。
- 1948年(昭和23年)5月3日 - 学制改革により、旧制中学校が廃止され新制高等学校「日彰館女子高等学校」が発足。
- 新制高等学校(男女共学)
- 1950年(昭和25年)4月1日 - 上記2校が統合され、男女共学の「日彰館高等学校」(私立)となる。附属中学校を併設(現在は廃止されている)。
- 1951年(昭和26年)3月4日 - 私立学校法の制定により、学校法人日彰館が設立される。
- 1958年(昭和33年)4月1日 - 商業科を設置。
- 1969年(昭和44年)4月1日 - 県立移管により「広島県立日彰館高等学校」に改称。
- 1976年(昭和51年)4月1日 - この時の入学生から第13学区総合選抜制を開始。広島県立三次高等学校との2校総合選抜であった。
- 1978年(昭和53年)3月31日 - 商業科を廃止。
- 1993年(平成5年)3月31日 - 家政科を廃止。
- 1995年(平成7年)4月1日 - 総合選抜制の廃止により、この時の入学生から単独選抜を開始。
- 2015年(平成27年)9月 - 中華民国国立苗栗高級中学と姉妹校締結。
著名な出身者・関係
[編集]- 上原轍三郎(農業経済学者、北海学園大学学長)
- 奥田達郎(台湾総督府官僚、広島市助役)
- 磯永吉(農学者)
- 奥田元宋(画家)
- 谷尻誠(建築家)
- 奥田小由女(人形作家、奥田元宋の妻)
- 妹尾知之(海軍軍人、海軍中将)
- 渡辺信義(元プロ野球選手、広島カープ選手)
- 眞野勝弘(政治家、現廿日市市長)
- 奥田正和(政治家、現世羅町長、元世羅町議会議長)
- 安友正章(政治家、現府中市議会議員・副議長)
- 佐々木リョウ(シンガーソングライター)