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日下部明男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日下部 明男
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 京都府
生年月日 (1935-11-03) 1935年11月3日(89歳)
選手情報
ポジション 内野手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督歴

日下部 明男(くさかべ あきお、1935年11月3日 ‐ )は、日本の高校野球指導者、元社会人野球選手(内野手)。京都府出身。

来歴

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平安高等学校在学時、1957年第24回選抜高等学校野球大会1958年第25回選抜高等学校野球大会に出場[1]。前年は試合出場できなかったが、3年次は初戦(2回戦)の京都市立伏見高等学校との京都対決に5番三塁手として出場、2‐3で敗退した。明治大学進学後も三塁手で、のち主将を務め、卒業後は日本通運硬式野球部に進み、都市対抗野球大会に3度出場している。

1967年1月に比叡山高等学校に野球部監督として招聘され、同時に保健体育教師となる。当時は同好会レベルだったが、この春に間柴茂有の勧誘に成功、間柴が3年になった1969年第41回選抜高等学校野球大会に同校を甲子園初出場させ、1983年まで春夏7度の甲子園出場を果たした。その間には、1978年第50回選抜高等学校野球大会群馬県立前橋高等学校松本稔に、本大会史上初の完全試合を喫したが、1979年第61回全国高等学校野球選手権大会では、滋賀県代表として初の選手権勝利を上げ、ベスト8まで進出している。1983年第65回全国高等学校野球選手権大会以降は甲子園から遠ざかり、1993年で引退した[2]

指導した選手

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出典

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  1. ^ 平安高校野球部サイト
  2. ^ 甲子園高校野球人名事典102‐103ページ、森岡浩、東京堂出版、2004年、ISBN 978-4490106503