日下部宗好
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時代 | 戦国時代 - 江戸時代初期 |
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生誕 | 天正2年(1574年) |
死没 | 寛永10年(1633年)7月 |
別名 | 五郎八(通称)[1] |
戒名 | 宗傳[1] |
官位 | 従五位下大隅守[1] |
幕府 | 江戸幕府目付→普請奉行→留守居役 |
主君 | 徳川家康→秀忠 |
氏族 | 日下部氏 |
父母 | 父:日下部定好、母:西村久吉娘[1] |
兄弟 | 宗好、定勝、正冬、早川好勝、景久、間宮氏室、豊島忠次室[1] |
妻 | 正室:成瀬正一の娘[1] |
子 | 宗正[1] |
日下部 宗好(くさかべ むねよし)は、戦国時代から江戸時代初期の武将。徳川氏家臣。
経歴・人物
[編集]徳川家康に従い、数々の戦で軍功を挙げた[1]。大坂の陣では目付を勤め、のち普請奉行として各地の城壁の修復にあたる[1]。その後江戸城留守居役となる[1]。のち采地300石を賜う[1]。寛永10年(1633年)2月26日致仕し、養老の料として嫡子の宗正が采地400石を賜う[1]。同年7月死去[1]。