薪谷翠
表示
(新谷翠から転送)
獲得メダル | ||
---|---|---|
日本 | ||
柔道 | ||
世界柔道選手権 | ||
銀 | 2001 ミュンヘン | 78kg超級 |
金 | 2005 カイロ | 無差別級 |
アジア大会 | ||
銅 | 2006 ドーハ | 78kg超級 |
アジア柔道選手権 | ||
金 | 2000 東京 | 無差別級 |
金 | 2001 ウランバートル | 78kg超級 |
金 | 2001 ウランバートル | 無差別級 |
金 | 2007 クウェート | 78kg超級 |
薪谷 翠(しんたに みどり、1980年8月15日 - )は、和歌山県那賀町(現:紀の川市)出身の日本の女性柔道家。現在はミキハウス柔道部でコーチを務める。身長163cm。体重93kg。塚田真希とともに日本の女子柔道重量級を支えた選手のひとり。
略歴
[編集]柔道は小学校4年の時に始める[1]。 中学1年の時には全国中学校柔道大会56kg超級で1年生にして優勝を果たした。 また、柔道の他に寝技強化のためにレスリングも習い始めて、同じく中学1年の時には全日本レスリング選手権大会75kg級に出場して史上最年少の12歳で優勝を飾ったものの[2]、柔道の強化にはならないと判断してレスリングはやめた[3]。 その後、大阪工業大学高等学校、筑波大学体育専門学群を経て、2003年にミキハウスに入社する。
2008年の全日本女子柔道選手権を最後に現役からの引退を表明。全日本柔道連盟の女子シニア及びミキハウス柔道部のコーチに就任した[4]。
燕返の他にも、内股すかしや大内返等の同じ後の先の技となる返し技や袖釣込腰といった、難しい技を数多く持ち合わせている。 また、一本背負投もよく使っていたが、膝の故障がきっかけとなって、体落をマスターした。
2013年3月には女子柔道強化選手への暴力問題で、連帯責任により受けていた戒告処分が取り消されることになった。しかし、新体制の代表チームコーチからは外れることになった[5][6]。その後、代表チームにコーチとして復帰することになった[7]。2016年10月には代表チームのコーチを退任した[8]。
主な戦績
[編集]- 1993年 - 1994年 全国中学校大会 56kg超級 2連覇
- 1997年 全国高校選手権 78kg超級 優勝
- 2000年 全日本学生選手権 78kg超級 優勝
- 2000年 世界学生柔道 優勝
- 2001年 全日本女子柔道選手権 優勝
- 2001年 アジア柔道選手権 無差別級 優勝
- 2001年 世界選手権 78kg超級 銀メダル
- 2001年 ユニバーシアード 無差別級 優勝
- 2001年 福岡国際柔道大会 78kg超級 準優勝、無差別級 優勝
- 2002年 フランス国際柔道大会 78kg超級 優勝
- 2004年 アメリカ国際柔道大会 78kg超級 優勝
- 2005年 世界選手権 無差別級 金メダル
- 2006年 福岡国際柔道大会 78kg超級 3位、無差別級 優勝
- 2006年 アジア大会 78kg超級 銅メダル
脚注
[編集]- ^ 「ZOOM IN 素顔 薪谷翠」近代柔道 ベースボールマガジン社、1997年8月号、69-71頁
- ^ 全日本選手権 歴代優勝者女子 日本レスリング協会
- ^ 著名な柔道家インタビュー 柔道チャンネル
- ^ 日本柔道強化メンバー
- ^ 第三者委が答申 コーチへの戒告処分は撤回、上村会長「拙速」 スポーツニッポン 2013年3月18日
- ^ 山口氏が強化委員就任へ 女子コーチに塚田氏ら就任 MSN産経ニュース 2013年3月21日
- ^ 薪谷氏が女子代表コーチに復帰 NTC施設管理担当コーチも兼務 MSN産経ニュース 2013年5月9日
- ^ 上野順恵氏らがコーチ就任 女子代表新体制/柔道 サンケイスポーツ 2016年10月21日
外部リンク
[編集]- ミキハウス スポーツクラブ
- 薪谷翠 - JudoInside.com のプロフィール
- 薪谷翠物語