新田町 (盛岡市)
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新田町 | |
---|---|
国 | 日本 |
都道府県 | 岩手県 |
市町村 | 盛岡市 |
面積 | |
• 合計 | 0.1164583 km2 |
人口 | |
• 合計 | 1,227人 |
• 密度 | 11,000人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
020-0042[2] |
市外局番 | 019 (盛岡MA)[3] |
ナンバープレート | 盛岡 |
新田町(しんでんちょう)は、岩手県盛岡市の地名。丁番は持たない単独町名である。住居表示実施済み区域[4]。郵便番号は020-0042[2]。
地理
[編集]岩手県盛岡市南西部に位置する。
域内は住宅地が多くを占めており、駅はないものの、町内を田沢湖線(秋田新幹線)が通過する他、夕顔瀬町との境界をIGRいわて銀河鉄道線が通過する。
歴史
[編集] 江戸時代は現在の新田町の周辺地域、即ち岩手郡下厨川村字堂の前、木伏、下田、三十軒等の雫石街道沿いの地域を新出町(新田町や夕顔瀬組町とも)と称した。新出町は1765年(明和2年)に北上川に土橋の夕顔瀬橋が架橋されて以降、雫石街道の盛岡城下への入口として軍事的な要地となった為、夕顔瀬橋の橋詰の同街道沿い4町半程に築かれた足軽組町であった。1868年(慶応4年)の下厨川村絵図面には新田組丁とあり、字地として堂ノ前、木伏が見える。なお、新田町の名で下厨川村の字名となったのは、明治時代に入ってからとされる。
1889年(明治22年)4月1日、町村制施行により南岩手郡厨川村が発足し、その一部となった。現在の新田町は、1913年(大正2年)6月10日、編入合併により盛岡市の一部となった後、1965年(昭和40年)に盛岡市三ツ屋、三十軒、下田の各一部に住居表示を実施し成立したもので、IGRいわて銀河鉄道線を境に西側の、盛岡駅西通一丁目、城西町、境田町に囲まれた区域となっている。
由来
[編集]明治時代の下厨川村の字名から。
世帯数と人口
[編集]2023年(令和5年)11月30日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字・丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
新田町 | 695世帯 | 1227人 |
交通
[編集]鉄道
[編集]域内に鉄道駅は存在しない。盛岡駅が最寄り駅となる。
道路
[編集]施設
[編集]- くりやがわ保育園
- 新田町幼児公園
脚注
[編集]参考文献
[編集]書籍
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 3 岩手県』角川書店、1985年。ISBN 4-04-001030-2。