新港東口駅
新港東口駅 | |
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しんこうひがしぐち Shinkō Higashiguchi | |
◄堀岡 (0.7 km) | |
富山県新湊市(現・射水市)堀岡明神新 | |
所属事業者 | 富山地方鉄道 |
所属路線 | 射水線 |
キロ程 | 14.4 km(新富山起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1966年(昭和41年)12月1日 |
廃止年月日 | 1980年(昭和55年)4月1日 |
備考 | 射水線廃線に伴い廃駅 |
新港東口駅(しんこうひがしぐちえき)は、富山県新湊市(現・射水市)堀岡明神新にあった富山地方鉄道射水線の駅(廃駅)である。射水線の廃線に伴い1980年(昭和55年)4月1日に廃駅となった。
概要
[編集]富山新港の建設により射水線が東西に分断され、西側が加越能鉄道に譲渡された後、射水線の新しい終着駅として開業した(旧・堀切駅の復活)。駅名は富山新港の東側に位置したことに由来する。対岸の加越能鉄道(当時。現・万葉線)新湊港線越ノ潟駅との間は富山県営渡船により結ばれていた(渡船は現在も運航中)。
歴史
[編集]- 1932年(昭和7年)7月20日:越中鉄道堀岡駅 - 越ノ潟駅間に堀切駅(ほりきりえき)として新設開業[1][2]。
- 1943年(昭和18年)1月1日:交通統合により富山地方鉄道射水線の駅となる[1][2]。
- 1944年(昭和19年)5月18日:廃止[1]。
- 1946年(昭和21年)頃:営業再開[1]。
- 1966年(昭和41年)
- 時期不詳:業務委託化[3]。
- 1980年(昭和55年)4月1日:射水線の廃線に伴い廃止となる[1][2]。
駅構造
[編集]廃止時点で、島式ホーム(片面使用)1面1線を有する地上駅で、同線の終端駅であった。ホームは線路の南側(新港東口方面に向かって左手側)に存在した[3]。かつては島式ホーム1面2線を有した[3]。使われなくなったホーム南側の2番線は廃止され、線路は撤去されていた[3]。稼働線の1番線の番線表示は継続使用されていた[3]。
業務委託駅となっていた[3]。駅舎はホームの南西側に位置しホーム西側に接していた[3]。ホームは上屋を有した[3]。
駅周辺
[編集]駅跡
[編集]線路跡は四方駅跡南方附近から当駅附近までサイクリングロードとなっている[5]。1997年(平成9年)時点では、線路跡地はそのサイクリングロードであった[5]。2006年(平成18年)時点[6]、2010年(平成22年)時点でも同様であった[4][7]。
駅跡地は1997年(平成9年)時点では縫製工場、サイクリングロード、並木のある緑地となっていた[5]。2006年(平成18年)時点[6]、2010年(平成22年)時点でも同様であった[4][7]。尚、駅舎跡地が縫製工場、旧2番線及びホーム跡地がサイクリングロード、線路跡地が並木のある緑地という位置関係であった[6]。
また、2006年(平成18年)時点では、駅跡の西側、海岸附近に「堀切鉄橋」の橋台が残存し、防波堤を越えた海中にも鉄橋の橋脚が1基残存していた[6]、2010年(平成22年)時点でも同様であったが2013年7月に橋台を残し隣接する堀切橋跡とともに撤去された。[4][7]。
隣の駅
[編集]- 富山地方鉄道
- 射水線
- 堀岡駅 - 新港東口駅
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 書籍『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線 6 北信越』(監修:今尾恵介、新潮社、2008年10月発行)34ページより。
- ^ a b c d e 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く3 北陸・信州・東海編』(JTBパブリッシング、2010年4月発行)211-212ページより。
- ^ a b c d e f g h i 書籍『RM LIBRARY 107 富山地鉄笹津・射水線』(著:服部重敬、ネコ・パブリッシング、2008年7月発行)41ページより。
- ^ a b c d 書籍『新 消えた轍 7 北陸』(著:寺田裕一、ネコ・パブリッシング、2010年12月発行)49,53ページより。
- ^ a b c 書籍『鉄道廃線跡を歩くIII』(JTBパブリッシング、1997年5月発行)108-109ページより。
- ^ a b c d 書籍『富山廃線紀行』(著:草卓人、桂書房、2008年7月発行)66-67ページより。
- ^ a b c 『新 鉄道廃線跡を歩く3』50-51ページより。