新庄直知
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新庄直知 しんじょう なおとし | |
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生年月日 | 1879年3月16日 |
没年月日 | 1945年8月28日(66歳没) |
出身校 | 東京帝国大学工科大学造兵学科卒業 |
前職 | 鉄道院嘱託 |
所属政党 | 研究会 |
配偶者 | 新庄フミ |
親族 | 父・新庄直陳(貴族院議員) |
在任期間 | 1917年 - 1939年7月9日 |
新庄 直知(しんじょう なおとし、1879年(明治12年)3月16日[1] - 1945年(昭和20年)8月28日[1][2])は、明治から昭和期の鉄道技術者、政治家、華族。貴族院子爵議員。新荘と表記される場合がある[3]。元常陸国の麻生藩主の家系。
経歴
[編集]本籍・茨城県行方郡麻生町[2]。司法官・新庄直陳の長男として生まれた[1][4]。父の死去に伴い、1913年(大正2年)6月20日、子爵を襲爵した[1][4][5]。
1908年(明治41年)7月、東京帝国大学工科大学造兵学科を卒業[2][3]。1910年(明治43年)鉄道院(後の日本国有鉄道の前身)技手に就任。その後、同技師、同嘱託などを務めた[2][4]。
1917年(大正6年)3月10日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[6][7]、研究会に所属して活動し[2]、1939年(昭和14年)7月9日まで4期在任した[2]。
1945年(昭和20年)2月19日に隠居し、同年8月に死去した[1]。
親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。
日本の爵位 | ||
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先代 新庄直陳 |
子爵 (麻生)新庄家第2代 1913年 - 1945年 |
次代 栄典喪失 |