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新庄直知

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
新庄直知
しんじょう なおとし
生年月日 1879年3月16日
没年月日 (1945-08-28) 1945年8月28日(66歳没)
出身校 東京帝国大学工科大学造兵学科卒業
前職 鉄道院嘱託
所属政党 研究会
配偶者 新庄フミ
親族 父・新庄直陳(貴族院議員)

在任期間 1917年 - 1939年7月9日
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新庄 直知(しんじょう なおとし、1879年明治12年)3月16日[1] - 1945年昭和20年)8月28日[1][2])は、明治から昭和期の鉄道技術者政治家華族貴族院子爵議員新荘と表記される場合がある[3]。元常陸国麻生藩主の家系。

経歴

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本籍・茨城県行方郡麻生町[2]。司法官・新庄直陳の長男として生まれた[1][4]。父の死去に伴い、1913年(大正2年)6月20日、子爵を襲爵した[1][4][5]

1908年(明治41年)7月、東京帝国大学工科大学造兵学科を卒業[2][3]1910年(明治43年)鉄道院(後の日本国有鉄道の前身)技手に就任。その後、同技師、同嘱託などを務めた[2][4]

1917年(大正6年)3月10日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[6][7]研究会に所属して活動し[2]1939年(昭和14年)7月9日まで4期在任した[2]

1945年(昭和20年)2月19日に隠居し、同年8月に死去した[1]

親族

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 『平成新修旧華族家系大成 上巻』766-767頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』45頁。
  3. ^ a b 『東京帝国大学一覧 明治41-42年』東京帝国大学、1908年、学士及卒業生姓名189頁。
  4. ^ a b c 『人事興信録 第14版 上』シ118-119頁。
  5. ^ 『官報』第268号、大正2年6月21日。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、24頁。
  7. ^ 『官報』第1381号、大正6年3月12日。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。


日本の爵位
先代
新庄直陳
子爵
麻生)新庄家第2代
1913年 - 1945年
次代
栄典喪失