新保生二
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新保 生二(しんぽ せいじ、1945年〈昭和20年〉6月2日[1] - 2004年〈平成16年〉10月26日)は、日本の官僚。元経済企画審議官。広島市出身。
略歴
[編集]- 1967年(昭和42年) 国家公務員採用上級甲種試験(経済)合格
- 1968年(昭和43年) 東京大学経済学部卒業、経済企画庁入庁、調整局調整課
- 1972年(昭和47年)OECD経済局(フランス)
- 経済企画庁調査局内国調査第一課課長補佐
- 1977年(昭和52年)経済企画庁経済研究所研究調整官
- 1982年(昭和57年)8月21日 経済企画庁物価局物価調整課物価管理室長
- 1985年(昭和60年)6月18日 経済企画庁長官官房参事官
- 1987年(昭和62年)7月22日 経済企画庁総合計画局計画官(産業一般担当)、内閣官房内閣安全保障室内閣審議官併任
- 1988年(昭和63年)8月1日 経済企画庁総合計画局計画官(計量分析一般担当)
- 1990年(平成2年)7月6日 経済企画庁調査局海外調査課長
- 1991年(平成3年)4月15日 経済企画庁調整局調整課長
- 1993年(平成5年)6月17日 経済企画庁長官官房経済企画参事官、長官官房審議官
- 1993年(平成5年)6月25日 大蔵省大臣官房参事官兼財政金融研究所次長
- 1995年(平成7年)6月21日 経済企画庁長官官房経済企画参事官、調整局審議官
- 1997年(平成9年)7月1日 経済企画庁調査局長
- 1999年(平成11年)7月21日 経済企画審議官
- 2001年(平成13年)1月5日 依願退官
- 2001年(平成13年) 大和総研顧問
- 2004年(平成16年) 青山学院大学国際政治経済学部教授
- 2004年(平成16年)10月26日 肺癌のため死去[2]。正四位瑞宝重光章
主な著書
[編集]- 1979年『現代日本経済の解明』(東洋経済新報社、第23回日経・経済図書文化賞受賞1979年)
- 1985年『分析 日本経済』(東洋経済新報社、1985年)
- 1988年『生きた日本経済入門』(日本経済新聞社、1988年)
- 1991年『ゼミナールマクロ経済学入門』(日本経済新聞社、1991年)
- 1994年『第三の開国を目指す日本経済』(東洋経済新報社、1994年)
- 2001年『日本経済失敗の本質』(日本経済新聞社、2001年)
- 2003年『デフレの罠をうち破れ』(中央公論社、2003年)
脚注
[編集]- ^ 『現代物故者事典2003~2005』(日外アソシエーツ、2006年)p.309
- ^ 新保生二氏死去/青山学院大教授 - 四国新聞、2004年10月27日
外部リンク
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