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斯波与七郎

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斯波 与七郎(與七郎、しば よしちろう、1865年6月9日(慶応元年5月16日[1][2])- 1932年昭和7年)5月8日[3])は、明治から昭和初期の大地主[4]、農業経営者、実業家、政治家貴族院多額納税者議員

経歴

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播磨国加東郡西村[1]兵庫県加東郡河合村[5]大字西村[1]を経て現小野市)で豪農、斯波家11代・斯波喜の長男として生まれた[2][6][注 1]。父の死去に伴い1893年(明治26年)10月に家督を相続した[2]

1895年(明治28年)6月、加東郡所得税調査委員に就任[1][5]。1896年(明治29年)2月、兵庫県会議員に選出され[2][4][6]、同年8月、加東郡会議員に就任した[1][5]

1897年(明治30年)7月の貴族院多額納税者議員選挙で互選され[1][4]、同年9月29日[7]から1904年(明治37年)9月28日まで在任した[3][5]

その他、東播銀行取締役、灘酒造取締役なども務めた[4]。貴族院議員退任後は、農業に専念し所有地40町歩の耕地で自作経営を行った[6]

親族

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脚注

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注釈

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  1. ^ 「斯波与七郎君」『貴族院多額納税議員列伝』では「旧堀井氏、後斯波氏を襲ふ」としている。

出典

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  1. ^ a b c d e f 「斯波与七郎君」『貴族院多額納税議員列伝』。
  2. ^ a b c d e 『人事興信録 初版』1047-1048頁。
  3. ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』203頁。
  4. ^ a b c d 『日本現今人名辞典』しノ2頁。
  5. ^ a b c d 『兵庫県人物事典 下巻』88頁。
  6. ^ a b c 『現代兵庫県人物史』434-435頁。
  7. ^ 『官報』第4275号、明治30年9月30日。
  8. ^ 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年、836頁。

参考文献

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  • 金井確資編『貴族院多額納税議員列伝』金井確資、1899年。※頁付無し。
  • 『日本現今人名辞典』日本現今人名辞典発行所、1900年。
  • 人事興信所編『人事興信録 初版』人事興信所、1903年。
  • 田住豊四郎編『現代兵庫県人物史』県友社、1911年。
  • 『兵庫県人物事典 下巻』のじぎく文庫、1968年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。