斎藤阿具
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斎藤 阿具(さいとう あぐ、1868年3月11日(慶応4年2月18日) - 1942年(昭和17年)3月1日[1])は、日本の歴史学者。夏目漱石の友人として知られる。
人物
[編集]武蔵国足立郡尾間木村(現・埼玉県さいたま市)出身。1890年第一高等中学校卒業[2]。1893年東京帝国大学史学科卒業[3]、大学院に進む[4]。1897年第二高等学校教授[5]。1903年から3年間ドイツ、オランダに留学[6]。留学中に本郷区駒込千駄木町の家を夏目漱石に貸した[7]。漱石はここで『吾輩は猫である』を書いたため、「夏目漱石旧宅跡」として区指定史跡とされ旧居記念碑が建っており、旧居は明治村に移築された。
帰国後第一高等学校教授となり[8]、芥川龍之介、久米正雄、山本有三らを教えた。1921年文学博士の学位を授与される[9]。1933年定年退官[10]。1938年名誉教授[11]。日本とオランダの交渉を研究し、ヘンドリック・ドゥーフ(ヅーフ)、フィッセルの日本見聞記を訳した。墓所は多磨霊園(5-1-12)。
著書
[編集]- 西力東侵史 金港堂書籍 1902 NDLJP:991482
- ヅーフと日本 広文館 1922 NDLJP:1918493/5
- 西洋史 佐藤兄弟商会 1927
- 西洋文化と日本 創元社 1941 NDLJP:1238849
翻訳
[編集]参考資料
[編集]- 森於菟の随筆『砂に書かれた記録 11』(『父親としての森鴎外』所収)に、昭和6年、斎藤阿具が、鴎外漱石が住んだ千駄木の家についての経緯を、森於菟に尋ねる手紙が2通掲載されている。
- 斎藤阿具 著「夏目君と僕と僕の家」、猪野謙二 編『定本漱石全集』 別巻、岩波書店、2018年。 NCID BB22756985。
脚注
[編集]- ^ 『官報』第4548号、昭和17年3月10日、p.287
- ^ 『官報』第2108号、明治23年7月10日、p.112.NDLJP:2945360/5
- ^ 『東京帝国大学一覧 従明治26年至明治27年』帝国大学、1894年1月8日、436頁。NDLJP:813170/224。
- ^ 『東京帝国大学一覧 従明治26年至明治27年』帝国大学、1894年1月8日、281頁。NDLJP:813170/146。
- ^ 『官報』第4170号、明治30年5月29日、p.396.NDLJP:2947457/15
- ^ 『官報』第5868号、明治36年1月27日、p.517、『官報』第6741号、明治38年12月18日、p.671
- ^ 斎藤阿具 2018
- ^ “「第二高等学校教授斎藤阿具第一高等学校教授ニ転任ノ件」『任免裁可書・明治三十九年・任免巻三十五』”. 国立公文書館デジタルアーカイブ. 国立公文書館 (1906年12月27日). 2023年3月9日閲覧。
- ^ 『学位録 自明治21年5月至昭和4年3月』文部省専門学務局、1929年6月28日、69頁。NDLJP:1438276/43。
- ^ 『職員録 昭和8年7月1日現在』内閣印刷局、1933年10月16日、3(附録)頁。NDLJP:144797343/737。
- ^ “「斎藤阿具第一高等学校名誉教授ノ名称ヲ授クルノ件」『任免裁可書・昭和十三年・任免巻十一』”. 国立公文書館デジタルアーカイブ. 国立公文書館 (1938年2月7日). 2023年3月9日閲覧。
- ^ 人事興信所 編『人事興信録』(5版)人事興信所、1918年9月15日、さ53頁。NDLJP:1704046/1136。