斎藤和夫 (陸上選手)
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選手情報 | ||||
国籍 | 日本 | |||
種目 | 競歩 | |||
所属 |
倉庫精練 扇興運輸 | |||
大学 | 日本大学 | |||
生年月日 | 1942年6月26日[1] | |||
出身地 | 石川県 | |||
没年月日 | 2006年6月2日(63歳没)[2] | |||
死没地 | 石川県[2] | |||
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斎藤 和夫(さいとう かずお)は、日本の競歩選手・指導者。選手として日本選手権優勝7回などの成績を残し、オリンピック2大会出場(1964年東京・1968年メキシコシティー)。指導者としては郷里石川県が「競歩王国」と称される土台を築いたほか、日本陸上競技連盟の競歩強化部長も務めた。「国内競歩のパイオニア」[3]「名指導者」[4]と評される人物である。
苗字については「齋藤」と記されるほか、「斉藤」表記も多く見受けられる[注釈 1]が、本記事では日本オリンピック委員会(JOC)や日本陸上競技連盟[8]での表記に従い「斎藤」とする。
経歴
[編集]石川県出身[2]。金沢市立工業高等学校卒業[9]。倉庫精練に所属[9]。
もとは長距離走の選手であったが、競歩に転向[3]。1963年、日本陸上競技選手権大会50キロ競歩で初優勝[8]。
1964年東京オリンピックに50km競歩で出場、25位の成績を残す。その後[注釈 2]、日本大学に学生として所属。1968年の日本選手権50km競歩での4時間17分58秒6は、日本学生記録・日本記録となった[7]。1968年メキシコシティーオリンピックに20km競歩と50km競歩の2種目で出場。20km競歩は途中棄権となったが、50km競歩では17位の成績をおさめた[10]。高地トレーニングの不足を痛感したことが、競歩で高地合宿に取り組む契機になったという[3]。所属はその後、扇興運輸となっている[注釈 3]。
石川県津幡町で競歩の指導に当たる[11]。石川県が競歩の盛んな県になったことには、斎藤の指導があるとされる[11][12]。1980年代に日本陸上競技連盟の競歩強化部長に就任、競歩競技の強化を整えた[13]:51。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “Kazuo Saito”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月5日閲覧。
- ^ a b c d “斉藤和夫氏死去/陸上競歩の元五輪代表選手”. 四国新聞. (2006年6月3日) 2021年7月30日閲覧。
- ^ a b c 澤木啓祐 (2016年10月17日). “競歩の軌跡とマラソンの凋落 上 競歩のレベルを上げるためにマラソンの力を借りた”. 日刊現代digital. 講談社. 2021年7月30日閲覧。
- ^ 正木利和 (2017年9月5日). “低迷のマラソンにかわり日本陸上界の救世主になった「競歩」…なぜ強くなったのか”. 産経新聞
- ^ “日本新で信頼「確信に」 陸上男子競歩の山崎・鈴木”. 北國新聞. (2008年8月8日) 2021年7月30日閲覧。
- ^ a b “国民体育大会記録集” (pdf). 国民体育大会. 日本スポーツ協会. 2021年7月29日閲覧。
- ^ a b “日本学生記録の変遷 男子50kmW”. 日本学生陸上競技連合. 2021年7月30日閲覧。
- ^ a b c d “過去の優勝者・記録 男子50km競歩”. 第100回日本陸上競技選手権大会. 日本陸上競技連盟. 2021年7月30日閲覧。
- ^ a b 束原文郎 2013, p. 269.
- ^ a b “「斎藤、和夫」の検索結果”. オリンピック日本選手団データ検索. 日本オリンピック委員会. 2021年7月30日閲覧。
- ^ a b “鈴木雄介は「競歩の申し子」である。金候補筆頭として世界陸上に挑む。”. NUMBER Web. 文藝春秋 (2015年8月20日). 2021年7月30日閲覧。
- ^ “8月の世界陸上に注目! “世界一速く歩く男”鈴木雄介が「ここから3年連続で金メダルを獲ります」”. 週プレNEWS. 集英社 (2015年6月14日). 2021年7月30日閲覧。
- ^ 園原健弘. “夢の途中!2020東京オリンピックで金メダル”. 2021年7月30日閲覧。
参考文献
[編集]- 束原文郎「1912年〜2008年夏季オリンピック日本代表選手団に関する資料:所属組織と最終学歴を中心に」『スポーツ科学研究』第10巻、2013年、242-316頁、2021年7月29日閲覧。