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斎藤利澄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

斎藤 利澄(さいとう としずみ、生年不詳 - 永禄3年5月19日1560年6月12日))は、戦国時代武将。通称掃部介

略歴

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永禄年間の人で今川義元の家臣。永禄3年(1560年)5月19日、桶狭間の戦いで今川軍本隊に参陣し、同日織田隊の攻撃を受け討死した[1]

今川家の家老職、斎藤家の末流であり[2]、『今川記』を記した斎藤道斎とは遠縁だと思われる [3]

参考文献

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  • 『通俗日本全史第9巻』( 早稲田大学出版部 、1913年、130p)
  • 『静岡県苗字の話』(静岡新聞社、1979年、120p)

脚注

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  1. ^ 早稲田大学出版部 1913, p. 130.
  2. ^ 今川義元・氏真の家臣団”. 2022年10月14日閲覧。
  3. ^ 静岡新聞社 1979, p. 120.