斎藤公正
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斎藤 公正(さいとう こうせい、1918年11月1日[1] - 1974年2月15日[2])は、池上通信機創業者。神奈川県出身[1]。
慶應義塾大学経済学部卒業後、大日本帝国海軍主計科に入り、海軍経理学校でも学んだ[1]。横須賀鎮守府、大湊海軍航空隊、滋賀海軍航空隊で主計長を務め、終戦時は主計少佐であった[1]。
1946年、池上通信機材製作所(現・池上通信機)を設立。一代で一流メーカーに育て上げた。
1974年2月15日、神奈川県藤沢市の江の島ヨットハーバー前の駐車場を乗用車で二・三周した後、料金所脇から猛スピードで岸壁に衝突し、死亡した。労働組合の問題で悩んでおり、自殺ではないかとされている[3]。
脚注
[編集]外部リンク
[編集]- 池上通信機とは|IR情報 - 池上通信機株式会社