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斎田朋雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
斎田 朋雄
(さいだ ともお)
誕生 1914年7月23日
日本の旗 日本 群馬県甘楽町
死没 2012年7月(満97歳没)
職業 詩人
言語 日本語
活動期間 1965年 - 2004年
代表作 『ムシバガイタイ』(1965年)
「斎田朋雄全詩集」(1990年)
「大手拓次曼陀羅」(2004年)[1]
主な受賞歴 日本現代詩人会 先達詩人
デビュー作 『ムシバガイタイ』(1965年)
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斎田 朋雄(さいだ ともお、1914年大正3年〉7月23日[3] - 2012年平成24年〉7月[4])は、日本詩人群馬県甘楽町生まれ。群馬県ペンクラブ会長、西毛文学代表、日本ペンクラブ日本現代詩人会、群馬詩人クラブ会員[1]

満州事変勃発の1931年(昭和6年)頃、の同人活動を開始した。1953年(昭和28年)、総合文学雑誌『西毛文学』(NCID AA11685096)を創刊した[5]

1971年(昭和46年)、同じ群馬出身の詩人・大手拓次に触れ、その功績を大きく評価。自ら「大手拓次曼荼羅」を著し、『西毛文学』に連載した。反響は大きく、1997年(平成9年)に拓次の墓前祭薔薇忌が始まるきっかけにもなった。群馬における拓次顕彰の原点は斎田が作ったとの声もあり、拓次の研究家として多くの講演を行なった[5]

2007年(平成19年)6月、「長年にわたり現代詩の発展に貢献した」と、室生犀星堀口大學も受賞者に名を連ねる日本現代詩人会の「先達詩人」としての表彰を受けた[5]。郷里の群馬県では前橋市出身の伊藤信吉以来、2人目の先達詩人となった[4][5]

2012年(平成24年)7月、満97歳で死去した[4]。『西毛文学』は半世紀以上の歴史を持つ雑誌となった[5]

著書

[編集]

脚注

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  1. ^ a b 斎田朋雄「医は仁術 愛と実践の人 斎藤壽雄」(PDF)『健康ぐんま』第40号、群馬県健康づくり財団、2007年、14頁、2016年12月10日閲覧 
  2. ^ 病と故郷 歌い上げた「世界に伝えたい」詩集の英語訳出版」『朝日新聞』(PDF)、朝日新聞社、2005年9月17日。オリジナルの2016年11月27日時点におけるアーカイブ。2016年12月10日閲覧。
  3. ^ 会員情報”. 日本現代詩人会. 2016年12月10日閲覧。
  4. ^ a b c 「「先達詩人」功績たたえ 高崎で斎田さん追悼展」『上毛新聞』上毛新聞社、2012年12月22日、22面。
  5. ^ a b c d e 「先達詩人・斎田朋雄さん」『朝日新聞』2008年1月23日、群馬版、26面。