斎田朋雄
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斎田 朋雄 (さいだ ともお) | |
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誕生 |
1914年7月23日 日本 群馬県甘楽町 |
死没 | 2012年7月(満97歳没) |
職業 | 詩人 |
言語 | 日本語 |
活動期間 | 1965年 - 2004年 |
代表作 |
『ムシバガイタイ』(1965年) 「斎田朋雄全詩集」(1990年) 「大手拓次曼陀羅」(2004年)[1] |
主な受賞歴 | 日本現代詩人会 先達詩人 |
デビュー作 | 『ムシバガイタイ』(1965年) |
影響を受けたもの
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斎田 朋雄(さいだ ともお、1914年〈大正3年〉7月23日[3] - 2012年〈平成24年〉7月[4])は、日本の詩人。群馬県甘楽町生まれ。群馬県ペンクラブ会長、西毛文学代表、日本ペンクラブ、日本現代詩人会、群馬詩人クラブ会員[1]。
満州事変勃発の1931年(昭和6年)頃、詩の同人活動を開始した。1953年(昭和28年)、総合文学雑誌『西毛文学』(NCID AA11685096)を創刊した[5]。
1971年(昭和46年)、同じ群馬出身の詩人・大手拓次に触れ、その功績を大きく評価。自ら「大手拓次曼荼羅」を著し、『西毛文学』に連載した。反響は大きく、1997年(平成9年)に拓次の墓前祭薔薇忌が始まるきっかけにもなった。群馬における拓次顕彰の原点は斎田が作ったとの声もあり、拓次の研究家として多くの講演を行なった[5]。
2007年(平成19年)6月、「長年にわたり現代詩の発展に貢献した」と、室生犀星や堀口大學も受賞者に名を連ねる日本現代詩人会の「先達詩人」としての表彰を受けた[5]。郷里の群馬県では前橋市出身の伊藤信吉以来、2人目の先達詩人となった[4][5]。
2012年(平成24年)7月、満97歳で死去した[4]。『西毛文学』は半世紀以上の歴史を持つ雑誌となった[5]。
著書
[編集]- 『ムシバガイタイ』飯塚書店、1965年7月。 NCID BB04217479。
- 『赤煉瓦物語』あさを社、1987年4月。 NCID BN10911542。
- 『断崖の詩 短篇集』青磁社〈西毛文学双書〉、1990年1月。全国書誌番号:90033391。
- 『斎田朋雄全詩集』青磁社、1990年9月。 NCID BN06933916。
- 『イメージ羊 斎田朋雄詩集』SCSサイダ企画〈西毛文学双書〉、1991年7月。全国書誌番号:91068831。
- 『大手拓次曼陀羅 日記の実像』西毛文学社、1996年10月。 NCID BA62922925。(共著)
- 『リアリスト萩原恭次郎の実像』西毛文学社、2004年12月。全国書誌番号:21134684。
脚注
[編集]- ^ a b 斎田朋雄「医は仁術 愛と実践の人 斎藤壽雄」(PDF)『健康ぐんま』第40号、群馬県健康づくり財団、2007年、14頁、2016年12月10日閲覧。
- ^ 「病と故郷 歌い上げた「世界に伝えたい」詩集の英語訳出版」『朝日新聞』(PDF)、朝日新聞社、2005年9月17日。オリジナルの2016年11月27日時点におけるアーカイブ。2016年12月10日閲覧。
- ^ “会員情報”. 日本現代詩人会. 2016年12月10日閲覧。
- ^ a b c 「「先達詩人」功績たたえ 高崎で斎田さん追悼展」『上毛新聞』上毛新聞社、2012年12月22日、22面。
- ^ a b c d e 「先達詩人・斎田朋雄さん」『朝日新聞』2008年1月23日、群馬版、26面。