斉藤秀夫
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斉藤 秀夫(さいとう ひでお、1967年8月23日 - )は、ソフトウェア開発者。秀丸エディタ、秀丸メール などのシェアウェアの開発者で、有限会社サイトー企画の代表。日本のパソコン通信全盛期からインターネット草創期にかけての代表的なシェアウェア作家である。
経歴
[編集]1967年8月23日、福井県鯖江市生まれ。もともと数学や論理思考が得意で、中学3年生の時にPC-6001のBASICでプログラミングに熱中する[1][2]。
1988年、福井工業高等専門学校の機械工学科を卒業。富士通に就職して大型コンピュータのソフトウェア開発部門に配属され、OS/2対応アプリケーションの開発を手がける[1]。
1991年に斉藤が個人用にPC/AT互換機を購入した際、通信ソフトやテキストエディタがまだ揃っていないと感じてWindows 3.0用ソフトウェアの開発を始めた[3][4]。富士通在職中は、秀まるおのハンドルを用い、通信ソフト「秀Term」(1992年)やテキストエディタ「秀丸エディタ」(1993年)をはじめとする秀丸シリーズをシェアウェアとしてパソコン通信上で公開。
1993年、斉藤はシェアウェアのサポートで多忙になったため富士通を退職し、もう1人の同僚と鯖江市に里帰りして有限会社サイトー企画を設立[3]。本格的にシェアウェア開発を行い、1994年度の売り上げは1億2000万円[1]、ピーク時の1996年から1998年には年間で1億5000万円を超えた[5]。
その後は事業規模を据え置きのまま、2022年現在、秀丸シリーズのソフトウェアを開発・サポートを継続している[6]。
脚注
[編集]- ^ a b c 廣瀬, 淳「チャレンジ:斉藤秀夫(福井県)」『北陸経済研究』第218巻、1996年、44-45頁。
- ^ 矢沢, 久雄 (2006年6月8日). “日本の名物コンピュータを訪ねて(6) 秀丸エディタの作者からいただいたマウスとキーボード”. 日経クロステック(xTECH). 2023年2月14日閲覧。
- ^ a b 「The Persons in the decade : 斉藤秀夫 - 会社辞めて○億円、シェアウェアのシンデレラボーイ」『ASAHIパソコン』1998年11月1日号、105頁、ISSN 0916-0302。
- ^ “特集 - ソフトウェア開発者/有限会社サイトー企画代表 秀まるお氏 インタビュー”. REALFORCE | 日本製プレミアムキーボードの最高峰. 東プレ. 2023年2月14日閲覧。
- ^ 斉藤, 栄太郎 (2012年8月21日). “NIFTY-Serve大同窓会が開催、「秀丸シリーズはピーク時年1億円超えた」”. 日経クロステック(xTECH). 2023年2月14日閲覧。
- ^ Narumi, Atsuyoshi (2022年5月10日). “「惰性でやっている」「ビジョンはない」 30年続くソフトウェア稼業「秀丸」がいまも最前線に立ち続ける理由 | Coral Capital”. 2023年2月14日閲覧。