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斎藤伸雄

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斉藤伸雄から転送)

斎藤 伸雄(さいとう のぶお、1919年大正8年)12月11日 - 2011年平成23年)9月24日)は、日本銀行家実業家和光証券(現 みずほ証券)第4代社長、元日本興業銀行常務取締役。柔道[1]

略歴

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新潟県新潟市上大川前通8番町(現 新潟市中央区上大川前通8番町)出身[注 1]1937年昭和12年)3月に新潟中学校を卒業、1940年(昭和15年)3月に新潟高等学校を卒業、1942年(昭和17年)9月に東京帝国大学法学部法律学科を卒業[3]

日本興業銀行に入行、1942年(昭和17年)9月30日に海軍経理学校海軍二年現役主計科士官として入校、1943年(昭和18年)1月15日に海軍主計中尉に任官、同年1月30日に卒業、横須賀海軍航空隊に配属、1カ月後に父島海軍航空隊に転属、硫黄島飛行場使用規定を作成したり、地元農業に価格政策を導入し作物の種類を豊富にしたりして、半年後に相模野海軍航空隊に転属、間もなく軍事参議官副官塚原二四三海軍大将付)として海軍省に勤務[4]1944年(昭和19年)5月1日に海軍主計大尉に任官[5]1945年(昭和20年)8月15日に太平洋戦争が終戦。

日本興業銀行新潟支店調査役[注 2]、新潟支店長代理、日本興業銀行本店融資第三部第一課調査役を経て[7]1957年(昭和32年)3月に人事部総務課長に就任[8]1960年(昭和35年)3月に証券部調査課長に就任[9]1961年(昭和36年)8月に証券部総務課長に就任[10]1962年(昭和37年)11月に証券部次長 兼 総務課長に就任[11]1963年(昭和38年)11月に資金部次長に就任[12]1965年(昭和40年)11月に資金部副部長に就任[13]1968年(昭和43年)11月に債券第一部長に就任、1969年(昭和44年)11月に取締役資金部長に就任[14]1970年(昭和45年)11月に取締役証券部長に就任[15]1972年(昭和47年)11月に常務取締役証券部長に就任[1]

1973年(昭和48年)4月に和光証券顧問に就任、11月に副社長に就任、1975年(昭和50年)11月に和光証券第4代社長に就任、1985年(昭和60年)12月に会長に就任、1990年平成2年)6月に取締役相談役に就任、1992年(平成4年)6月に相談役に就任[16]

2011年(平成23年)9月24日午後3時12分に東京都武蔵野市の病院で心不全のため死去[17][18]

低迷していた和光証券の社長に就任すると、若手を起用したり、ある部門の課長を別の部門の部長に抜擢したりして、1年で黒字にし、四大証券会社野村証券大和証券日興証券山一証券)に次ぐ収益力を持つ証券会社として再建した[19]

栄典

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家族・親戚

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脚注

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注釈

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  1. ^ 斎藤伸雄の生家があった場所は現在、第四北越証券新潟営業部になっている[2]
  2. ^ 1949年昭和24年)から1955年(昭和30年)8月まで日本興業銀行新潟支店に勤務していた[6]

出典

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  1. ^ a b 第三十八版 人事興信錄 上』「さ」132頁。
  2. ^ 越佐人国記 中央経済界版』228頁。
  3. ^ 一九六八年版 全国銀行職員録 別巻 銀行紳士録』521頁。
  4. ^ 証券 人国記』222頁。
  5. ^ 日本の経営者 1部上場全企業・社長の経営戦略と人物像』昭和56年版、895頁。『日本の経営者 1部上場全企業・社長の経営戦略と人物像』昭和58年版、924頁。『海軍主計科士官物語 二年現役補修学生総覧』521・553頁。
  6. ^ 財界人国記 中部編・信越編・近畿編』56頁。
  7. ^ 昭和三十五年版 産經 日本紳士年鑑』「さ」42頁。
  8. ^ 金融財政事情』第8巻第13号、42頁。
  9. ^ 金融財政事情』第11巻第12号、47頁。
  10. ^ 金融財政事情』第12巻第36号、49頁。
  11. ^ 金融財政事情』第13巻第49号、62頁。
  12. ^ 金融財政事情』第15巻第1号、102頁。
  13. ^ 金融財政事情』第17巻第1号、96頁。
  14. ^ 金融財政事情』第21巻第1号、90頁。
  15. ^ 金融界』第23巻第1号、130頁。
  16. ^ 現代 物故者事典 2009〜2011』258頁。『新潟県 人物・人材情報リスト 2021 第1巻』211頁。『第三十八版 人事興信錄 上』「さ」132頁。
  17. ^ 新潟日報』2011年9月30日付朝刊、7面。
  18. ^ 斎藤伸雄氏が死去 元和光証券社長 - 日本経済新聞
  19. ^ 財界家系譜大観 第八版』370頁。『経済展望』第51巻第14号、61頁。『銀行時評』第14巻第5号、93頁。『経営コンサルタント』第384号、47-48頁。『野田経済』第1362号、47頁。『月刊経済』第407号、37頁。『実業往來』第420号、71頁。
  20. ^ 「褒賞」『官報』号外第88号、13頁、大蔵省印刷局、 1983年11月4日。
  21. ^ 「叙位・叙勲」『官報』号外第47号、1頁、大蔵省印刷局、1990年5月1日。

参考文献

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  • 「斎藤伸雄氏」『新潟日報』2011年9月30日付朝刊、7面、新潟日報社、2011年。
  • 「斎藤伸雄」『現代 物故者事典 2009〜2011』258頁、日外アソシエーツ[編]、日外アソシエーツ、2012年。
  • 「斎藤伸雄」『新潟県 人物・人材情報リスト 2021 第1巻』211頁、日外アソシエーツ[編]、日外アソシエーツ、2020年。
  • 「齋藤伸雄」『第三十八版 人事興信錄 上』「さ」132頁、人事興信所[編]、人事興信所、1995年。
  • 「斎藤伸雄」『昭和三十五年版 産經 日本紳士年鑑』「さ」42頁、産業経済新聞年鑑局、1960年。
  • 「斎藤伸雄」『一九六八年版 全国銀行職員録 別巻 銀行紳士録』521頁、銀行通信社、1968年。
  • 「斎藤伸雄」『財界家系譜大観 第八版』370頁、大星義明・ほか[著]、常盤書院[発売]、現代名士家系譜刊行会、1988年。
  • 「斉藤伸雄」『日本の経営者 1部上場全企業・社長の経営戦略と人物像』昭和56年版、895頁、時評社「日本の経営者」編集グループ[編]、時評社、1980年。
  • 「斉藤伸雄」『日本の経営者 1部上場全企業・社長の経営戦略と人物像』昭和58年版、924頁、時評社「日本の経営者」編集グループ[編]、時評社、1982年。
  • 「斎藤伸雄」『海軍主計科士官物語 二年現役補修学生総覧』553-554頁、井畑憲次・野間弘[編]、浴恩出版会、1968年。
  • 「斎藤伸雄」『財界人国記 中部編・信越編・近畿編』55-56頁、三鬼陽之助飯塚昭男内橋克人[著]、サンケイ出版、1978年。
  • 「中学時代から柔道で活躍 斎藤伸雄氏」『証券 人国記』222-224頁、日本証券新聞社編集局[編著]、日本証券新聞社、1978年。
  • 「和光証券 柔道一直線、おしくも優勝を逸す 斎藤伸雄」『越佐人国記 中央経済界版』228-229頁、新潟日報東京支社報道部[編]、新潟日報事業社、1990年。
  • 『金融財政事情』第8巻第13号、金融財政事情研究会、1957年。
  • 『金融財政事情』第11巻第12号、金融財政事情研究会、1960年。
  • 『金融財政事情』第12巻第36号、金融財政事情研究会、1961年。
  • 『金融財政事情』第13巻第49号、金融財政事情研究会、1962年。
  • 『金融財政事情』第15巻第1号、金融財政事情研究会、1964年。
  • 『金融財政事情』第17巻第1号、金融財政事情研究会、1966年。
  • 『金融財政事情』第21巻第1号、金融財政事情研究会、1970年。
  • 『金融界』第23巻第1号、金融界社、1971年。
  • 『経済展望』第51巻第14号、経済展望社、1979年。
  • 『銀行時評』第14巻第5号、銀行時評社、1980年。
  • 『経営コンサルタント』第384号、経営政策研究所、1980年。
  • 『野田経済』第1362号、野田経済研究所、1980年。
  • 『月刊経済』第407号、月刊経済社、1986年。
  • 『実業往來』第420号、実業往来社、1987年。

関連文献

[編集]
先代
児玉冨士男
和光証券社長
第4代:1975年 - 1985年
次代
丹野恒二郎