齋藤與一郎
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齋藤 與一郎[注 1](さいとう よいちろう、1873年(明治6年)10月26日[1][2] - 1961年(昭和36年)1月5日[3])は、日本の医師。北海道函館市長。号・非魚(ひぎょ)[4]。
経歴
[編集]新潟県西頸城郡東早川村(現在の糸魚川市)出身[1][2]。齋藤國次郎の長男として生まれる[5]。1885年(明治18年)に函館に渡る[1]。1899年(明治32年)に医術開業免許を取得し、函館病院嘱託や函館伝染病院医長を務めた[1][2]。1906年(明治39年)からドイツに留学し、ゲッティンゲン大学やヴュルツブルク大学で衛生学を学んだ[2]。1912年(明治45年)に帰国し、函館区医に任命されるとともに、函館伝染病院医長・函館精神病院医長となった[1][2]。1925年(大正14年)より函館療養所長・柏野病院長(のち柏木病院に改称)・中の橋病院長を務め、1928年(昭和2年)からは函館水質試験所長も兼ねた[2]。
1920年(大正9年)には函館教育会長に就任し、1929年(昭和3年)より函館私立商工実修学校(のち函館市立商工青年学校)校長となった[1]。
1938年(昭和13年)5月、函館市長に選出され、1942年(昭和17年)5月27日まで1期在任し、戦時下の対応に尽力した[5]。
戦後、「翼賛道支部長」のため公職追放となり[6]、その後は函館厚生院理事長、函館商科短期大学学長などを務め、1954年(昭和29年)北海道文化賞を受賞し、1957年(昭和32年)函館市名誉市民となった[4]。
著作
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『はこだて人物誌』『全国市長名鑑』では「斉藤」となっているが、『函館市誌』では「斎藤」となっている。『函館市史』デジタル版では「斉藤」「斎藤」が混在している。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 『函館市誌』函館日日新聞社、1935年。
- 『自治制実施五十周年記念 全国市長銘鑑』帝国自治協会、1938年。
- 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1983年。
- 北海道新聞社編『北海道歴史人物事典』北海道新聞社、1993年。
- 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年。
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