世界四大文明
世界四大文明(せかいよんだいぶんめい)は、歴史観・文明観の一つ。20世紀以降の日本や中国でのみ用いられる言葉・表現である[2][3]。国際的には「文明のゆりかご」(Cradle of civilization)と言う。学術上、何をもって「文明」とするか、世界中の研究者によって様々な見解が提唱され明確に定義できていないために、文明の数についても特定できない。世界四大文明という言葉は、国際的に通用しない言葉であるだけでなく、学術上の提唱者すら不明であり、通俗的、慣習的に長年使用されている用語である[2]。
日本や中国では、紀元前3000年から紀元前2000年にかけて生まれたメソポタミア文明、エジプト文明、インダス文明、中国文明の4つの文明を世界四大文明としている。いずれも大河のほとりに生まれたため四大河文明と呼ぶこともある。国際的な用語である「文明のゆりかご」("Cradle of civilization")は、肥沃な三日月地帯を念頭に起きつつ、長江文明、メソアメリカ文明、アンデス文明、等々も含む。「文明」の学術上の定義、そして、そこから導かれる文明の数など、いずれも様々な見解が提唱されている。
由来
[編集]「四大文明」という考え方の由来は不明である[2]。
一説によれば、日本の考古学者、江上波夫に由来するとされる。杉山正明の述懐によれば、江上本人が「四大文明」は自分の造語だと主張したとされる[注釈 1][注釈 2]。また、村井淳志の調査によれば、「四大文明」という語句の初出が確認できるのも、江上が携わった1952年発行の山川出版社の教科書『再訂世界史』だとされる[6]。
また一説によれば、中国清朝末期の知識人、梁啓超に由来するとされる[2]。具体的には、梁啓超が1900年に作った詩『( 二十世紀太平洋歌』[7]の中にあり、「地球上の古文明の祖国に四つがあり、中国・インド・エジプト・小アジアである」と述べている[2][注釈 3]。なお、そのような梁啓超も含めて、20世紀初頭の中国人知識人たちの文明観は、福澤諭吉・浮田和民・茅原華山ら日本人の文明観の影響を受けていた[8][2]。あるいは彼ら日本人を経由して、西洋の文明観の影響も受けていた[8]。
そのほか、文明と大河の関係性に着目する文明論として、20世紀中期のカール・ウィットフォーゲルが提唱した水力社会論がある。
受容
[編集]21世紀初頭には、中国の習近平党総書記兼国家主席が「四大文明の中で中華文明だけが中断なく続いている」と主張しており[9]、アメリカ合衆国のドナルド・トランプ大統領を故宮に自ら案内した際も同様の主張を行って注目された[10]。
それと関連して、中国政府は、シルクロードの復活や中華民族の偉大なる復興を掲げての歴史利用的な外交の一環として、「古代文明国フォーラム」(Ancient Civilizations Forum)をギリシャとともに主催している。そこには、メソポタミア文明があったイラク、エジプト文明があったエジプト、インダス文明があったインド、メソアメリカ文明があったメキシコ、アンデス文明があったペルーやボリビアなども参加している[9][11][12]。
そのほか、北朝鮮は「大同江文化」を加えて独自に「世界五大文明」だとしている[13]。
関連文献
[編集]- 石川禎浩「中国近現代における文明史観の受容と展開 : 兼ねて「四大文明」説の由来を論ず (特集 文明)」『史林』第102巻第1号、史学研究会 (京都大学大学院文学研究科内)、2019年1月、152–187頁、doi:10.14989/shirin_102_152、ISSN 0386-9369、NAID 120006605411。
- 川尻文彦「近代中国における「文明」――明治日本の学術と梁啓超」『東アジア近代における概念と知の再編成』第35巻、国際日本文化研究センター、2010年3月、131–160頁、doi:10.15055/00002488。
NHKスペシャル
[編集]2000年にNHKスペシャルで『四大文明』というタイトルで特集番組が放送され、関連書籍が出版された。
- 吉村 作治、後藤 健、NHKスペシャル「四大文明」プロジェクト『エジプト』日本放送出版協会〈NHKスペシャル 四大文明〉、2000年7月。ISBN 978-4-14-080532-9。OCLC 48007972。
- 松本 健、NHKスペシャル「四大文明」プロジェクト『メソポタミア』日本放送出版協会〈NHKスペシャル 四大文明〉、2000年7月。ISBN 978-4-14-080533-6。OCLC 47089854。
- 近藤 英夫、NHKスペシャル「四大文明」プロジェクト『インダス』日本放送出版協会〈NHKスペシャル 四大文明〉、2000年8月。ISBN 978-4-14-080534-3。OCLC 47819890。
- 鶴間 和幸、NHKスペシャル「四大文明」プロジェクト『中国』日本放送出版協会〈NHKスペシャル 四大文明〉、2000年8月。ISBN 978-4-14-080535-0。OCLC 675135961。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 杉山は以下のように述懐している。「ふと江上さんが「四大文明」という考えを日本に広めたのは自分だよと、愉快そうに笑われた。私は率直に、長江・ガンジス・マヤ・アンデスなども「文明」で、ざっと挙げても八~十個くらいはありますよとお答えした。ところが江上さんは、「四大文明」といったのは口調がいいからで、本当はいろいろあるさと大笑いされた。」[4]
- ^ 森安孝夫は次のように述べている。「「四大文明」というのは、第二次世界大戦後に日本でそれまでの西洋史と東洋史を統合した高校「世界史」が生まれた時に、西欧中心史観であるユーロセントリスムを打破する目的で江上波夫によって作り出された 概念である。そのことは最近, 村井淳志 …… によって指摘されたが, その後, 私は畏友の杉山正明・京大教授より,かつて江上波夫先生と面談した時に直接御本人からそのことを伺った,と教えられた。」[5]
- ^ この詩が作られた背景として、当時の梁啓超は戊戌の変法の失敗により1898年から日本に亡命しており、1899年末にハワイの同志に会うために太平洋を横断した際にこの詩を詠んだ。この詩で梁啓超は、世界史の三つの大きな区分を呈示している。第一は大河の周辺に四大文明が出現した「河流文明時代」、第二が地中海や紅海や黄海などの内海周辺に文明が広がった「内海文明時代」、そして今は大航海時代以降の「大洋文明時代」であるという。
出典
[編集]- ^ The World of Civilizations Archived 2007年3月12日, at the Wayback Machine.
- ^ a b c d e f 川尻文彦 2010, p. 154.
- ^ 「四大文明」『デジタル大辞泉』 。コトバンクより2013年11月12日閲覧。
- ^ 杉山正明 (2012年6月25日). “書評『マヤ文明』 青山和夫著”. 読売新聞
- ^ 森安孝夫「内陸アジア史研究の新潮流と世界史教育現場への提言(基調講演1,<特集>内陸アジア史学会50周年記念公開シンポジウム「内陸アジア史研究の課題と展望」)」『内陸アジア史研究』第26巻、内陸アジア史学会、2011年、8f、doi:10.20708/innerasianstudies.26.0_3、ISSN 0911-8993、NAID 110009829149。
- ^ 村井淳志「この歴史用語--誕生秘話と生育史の謎を解く--「四大文明」は江上波夫氏が発案した造語だった!」『社会科教育』第46巻第4号、明治図書出版、2009年4月、116–121頁、NAID 40016524949。
- ^ 下河辺半五郎『壬寅新民叢報彙編』1904年、881頁。doi:10.11501/899081 。
- ^ a b 石川禎浩 2019, 抄録.
- ^ a b “木語:歴史利用の中国外交=坂東賢治”. 毎日新聞. (2017年5月18日) 2017年10月20日閲覧。
- ^ “習氏、トランプ氏に中国史を教える一幕 「中国人は竜の子孫」”. AFP. (2017年11月9日) 2018年1月11日閲覧。
- ^ “王毅外相、世界古代文明フォーラムに出席”. 中国国際放送. (2017年4月25日). オリジナルの2017年10月19日時点におけるアーカイブ。 2017年10月20日閲覧。
- ^ “Athens to Host 1st Ministerial Conference of 'Ancient Civilizations Forum'”. GTP. (2017年4月18日) 2017年10月20日閲覧。
- ^ “평양이 세계 5대 문명 발상지 중 한곳?”. 東亜日報. (2011年6月24日). オリジナルの2013年6月25日時点におけるアーカイブ。
関連項目
[編集]- サミュエル・P・ハンティントン 世界の八つの文明圏提唱者
- 古代中国の四大発明
- 世界5大文明 北朝鮮だけが主張する世界史観