文徳郡
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位置 | |
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各種表記 | |
チョソングル: | 문덕군 |
漢字: | 文德郡 |
日本語読み仮名: | ぶんとくぐん |
片仮名転写: | ムンドク=クン |
ローマ字転写 (MR): | Mundŏk-kun |
統計(2008年) | |
面積: | 335.711 km2 |
総人口: | 147,191 人 |
人口密度: | 438.446 人/km2 |
行政 | |
国: | 朝鮮民主主義人民共和国 |
上位自治体: | 平安南道 |
文徳郡(ムンドクぐん)は、朝鮮民主主義人民共和国平安南道西北部に位置する郡。郡名は高句麗の将軍・乙支文徳に由来する。
地理
[編集]清川江の河口部に位置し、西は黄海に面する。西部の清川江河口一帯は渡り鳥の保護区として2018年にラムサール条約登録地となった[1][2]。
隣接行政区
[編集]行政区域
[編集]1邑・1労働者区・21里を管轄する。
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歴史
[編集]612年、隋の煬帝は第二次高句麗遠征(隋の高句麗遠征)の軍を送った。高句麗は薩水(清川江)一帯で隋と戦い、勝利を収めた。このときの高句麗の将軍が乙支文徳であり、のちにつけられた郡名は彼を顕彰したものになっている。
1945年8月15日の時点で、この地域は安州郡に属していた。1952年12月、龍花面・大尼面・立石面・燕湖面が安州郡から分離され、文徳郡(1邑24里)が新設された。1980年2月、安州労働者区・新里・龍北里が郡から分離され、道直轄の清南区となった。
年表
[編集]この節の出典[3]
- 1952年12月 - 郡面里統廃合により、平安南道安州郡立石面・大尼面・龍花面・燕湖面をもって、文徳郡を設置。文徳郡に以下の邑・里が成立。(1邑24里)
- 文徳邑・南上渓里・龍南里・金渓里・上北洞里・漁龍里・尼西里・万興里・龍興里・協興里・龍中里・龍盤里・龍潭里・馬山里・南二里・東四里・上八里・仁興里・東林里・西湖里・龍林里・聖法里・新里・龍北里・博飛里
- 1953年 (1邑25里)
- 東林里の一部が分立し、龍五里が発足。
- 文徳邑が立石里に降格。
- 協興里が文徳邑に昇格。
- 南二里の一部が博飛里に編入。
- 1954年 - 新里の一部が分立し、安州労働者区が発足。(1邑1労働者区25里)
- 1958年 - 龍興里の一部が立石里に編入。(1邑1労働者区25里)
- 1959年 - 博飛里が龍五里に編入。(1邑1労働者区24里)
- 1977年 - 尼西里が豊年里に改称。(1邑1労働者区24里)
- 1980年2月 - 安州労働者区および新里・龍北里の各一部が新設の清南区に編入。(1邑24里)
- 1981年 - 万興里・上北洞里の各一部が文徳邑に編入。(1邑24里)
- 1991年 - 西湖里が西湖労働者区に昇格。(1邑1労働者区23里)
- 1997年末 - 清南区文化洞・相逢洞・忠誠洞・孝誠洞・コムン金洞・楽園洞・産業洞・セゴリ洞を編入。(1邑5労働者区23里)
- 文化洞・楽園洞が合併し、文化労働者区が発足。
- 相逢洞・コムン金洞が合併し、相逢労働者区が発足。
- 忠誠洞・セゴリ洞が合併し、忠誠労働者区が発足。
- 孝誠洞・産業洞が合併し、孝誠労働者区が発足。
- 1999年 - 文化労働者区・相逢労働者区・忠誠労働者区・孝誠労働者区・新里・龍北里および西湖労働者区の一部が新設の清南区に編入。(1邑1労働者区21里)
交通
[編集]脚注
[編集]- ^ ““청천강 트인 갯벌 보니, 옛 새만금 생각났다”” (朝鮮語). www.hani.co.kr (2018年6月11日). 2023年4月16日閲覧。
- ^ “Mundok Migratory Bird Reserve | Ramsar Sites Information Service”. rsis.ramsar.org (2018年1月16日). 2023年4月16日閲覧。
- ^ 평안남도 문덕군 역사