文室忍坂麻呂
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時代 | 奈良時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 従五位上・因幡守 |
主君 | 称徳天皇→光仁天皇→桓武天皇 |
氏族 | 文室氏 |
父母 | 父:文室浄三?または文室大市? |
文室 忍坂麻呂(ふんや の おしさかまろ)は、奈良時代の貴族。大納言・文室浄三または大納言・文室大市の子か。官位は従五位上・因幡守。
経歴
[編集]天平神護3年(767年)従五位下に叙爵し、右大舎人頭に任ぜられる。
光仁朝では、伊予守・中務少輔・上野守を歴任し、天応元年(781年)の光仁上皇の崩御に当たっては、作路司を務めた。
桓武朝に入ると、天応2年(782年)左京亮、延暦2年(783年)造東大寺次官、延暦3年(784年)造長岡宮使、延暦4年(785年)木工頭と造営関係の京官を歴任。またこの間の延暦3年(784年)には長岡宮造営の功労により従五位上に昇叙されている。延暦5年(786年)因幡守に任ぜられ、再度地方官に転じた。
官歴
[編集]『続日本紀』による。
- 時期不詳:正六位上
- 天平神護3年(767年) 正月18日:従五位下。3月20日:右大舎人頭
- 宝亀2年(771年) 7月23日:伊予守
- 宝亀8年(777年) 正月25日:中務少輔
- 宝亀10年(779年) 11月28日:上野守
- 天応元年(781年) 12月23日:作路司(光仁上皇崩御)
- 天応2年(782年) 8月25日:左京亮
- 延暦2年(783年) 3月12日:造東大寺次官
- 延暦3年(784年) 6月10日:造長岡宮使。12月2日:従五位上
- 延暦4年(785年) 正月15日:木工頭
- 延暦5年(786年) 正月24日:因幡守
- 延暦8年(789年) 12月29日:山作司(高野新笠崩御)