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文学カフェ (サンクトペテルブルク)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
文学カフェの看板(2016年)
ネフスキー大通り18番の建物(2007年)

文学カフェ(ぶんがくカフェ、ロシア語: Литературное кафе英語: Literature Cafe)はロシア第二の都市・サンクトペテルブルクにあるカフェーレストランで、プーシキンドストエフスキーが出入りしていたのでその名がある。

歴史

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文学カフェの歴史は18世紀中旬に建てられたビル(住所:ネフスキー大通り18番)を1812~15年にコトミン(K.B. Kotomin)がアパートメント「コトミン・ビル」(Kotomin House)として修復し、 [1] その1階にヴォルフ&ベランジェ(S. Wolff & T. Beranget)菓子店を開いた。1934年に中国カフェ(Cafe chinois)も開店して、菓子店を含めたそこはプーシキンレールモントフシェフチェンコなどの文豪が集まるクラブ風場所になった。 [2] 

1837年、プーシキンはここで介添え人(セコンド)のコンスタンチン・ダンザス(Konstantin Danzas)に会い、ジョルジュ・ダンテスとの決闘に臨んで、決闘で受けた傷がもとで二日後に亡くなっている。この数日後、フェオドル・グリンカ(F.N. Glinka)はレールモントフがプーシキンの死を悼んで書いた有名な詩人の死」(Смерть поэта)をウラジミル・ブルナシェフ(V.P. Burnashev)にここで読んで聞かせている。1840年、ドストエフスキーはここで空想的社会主義を標榜するミハイル・ペトラシェフスキーに会っている。

1877年にこの菓子店は閉鎖され、その代りに高級レストランが開店し、チャイコフスキーシャリアピンなどの音楽家が集まった。ある日、チャイコフスキーはそこで水を所望し、それが原因でコレラで1893年に亡くなったともいわれている。 [3]

1858~2001年には地下に古本屋ができ広く知られた店になり、1978~81年にはビルが全面的に改修されて、1983年には「文学カフェ」が開店した。

現在

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2階の様子(2007年)

現在文学カフェは1、2階を占め、ここへ出入りした文豪の写真が飾ってあり、2階にはプーシキンの蝋人形がテーブルに向っている。カフェと呼ばれているがあらゆる料理、飲み物が出る普通のレストランで、サンクトペテルブルクの目抜き通りであるネフスキー大通りに面していて便利なので、観光客も訪れる名所になっている。ロシアの伝統にのっとって、詩の朗読会も時々開催されている。

コーヒーも飲めるが、ロシアの伝統的飲み物は紅茶であり、サモワールを使った紅茶も出て、ケーキを食べては紅茶を飲み、ジャムをなめては紅茶を飲む。ジャムを紅茶の中に入れることはしない。 [4]

その他のカフェ、文学カフェ

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サンクトペテルブルクにはドーム・クニーギ(本の家、もとシンガー社ビル Дом компании «Зингер»)のカフェ、インターネット・カフェなど名の知られたカフェが沢山ある。モスクワには新アルバート通りにあるドーム・クニーギ(本の家)の文学カフェ などがある。[5] [6] 日本にも「Bundan Coffee & Beer」(日本近代文学館[7]がある。

文学カフェ」はまた、文学に関する有料または無料の講演会を、文学に関するインターネットサイトを意味することがある。 [8]

脚注

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関連項目

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座標: 北緯59度56分11秒 東経30度19分09秒 / 北緯59.93646度 東経30.31912度 / 59.93646; 30.31912

外部リンク

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