文化資源学
文化資源学 (ぶんかしげんがく、Cultural Resources Studies) とは、文化資源をめぐる学問である。
沿革
[編集]文化資源学の構想が最初に登場したのは、東京大学大学院人文社会研究科が1998年に発行したパンフレット『記憶と再生 文化資源学の構想』とされる[1][2]。2000年には、東京大学大学院人文社会系研究科に文化資源学研究専攻が設置され、これ以降「文化資源学」および「文化資源」という言葉が次第に使われるようになったと言われている[3][4]。
2002年には「文化資源学が1大学の1研究室に帰属する学問であることから脱却する」ことを目指した文化資源学会が設立されたほか、熊本大学大学院に「文化資源論講座」が設置された[3][5]。また、2003年には神戸大学に文化資源論講座が、2004年には国立民族学博物館に文化資源研究センターが新設された[5]。さらに2011年には金沢大学人間社会研究域附属国際文化資源学研究センターが発足して『金沢大学文化資源学研究』を発刊したほか[6]、2021年には大阪市立大学文化資源学会が発足し、2022年に同会は学会機関紙『文化資源学ジャーナル』を創刊した[7]。
一方、日本以外での「文化資源学」の知名度は低いとされる[3]。松田陽は2021年の論考にて「日本国内での使用頻度が着実に増えている『文化資源学』だが、その英訳として掲げられる『Cultural Resources Studies』は英語圏では使われていないに等しい」と指摘している[3]。
定義
[編集]文化資源学の構想が最初に登場したとされる、東京大学大学院人文社会研究科が1998年に発行したパンフレット『記憶と再生 文化資源学の構想』では、文化資源学が以下のように紹介されている[2]。
埋もれた膨大な資料の蓄積を、現在および将来の社会で活用できるように再生・蘇生させ、新たな文化をはぐくむ土壌として資料を資源化し活用可能にすることが必要です。文化資源学はそのための新しい学問です。
文化資源学は、世界に散在する多種多様な資料を、学術研究や人類文化の発展に有用な資源として活用することを目的としています[2]。
また、文化資源学会の設立趣意書でも以下のように紹介されている[8]。
文化資源学は、世界に散在する多種多様な資料を学術研究や人類文化の発展に有用な資源として活用することを目的としています[8]。
さらに、東京大学大学院人文社会研究科で教鞭をとる松田陽は以下のように指摘している[9][10]。
評価
[編集]学際性について
[編集]文化資源学は多分野にわたる学際的な学問とされる[5]。例えば佐藤健二は著書『文化資源学講義』にて以下のように述べている[11]。
私が「文化資源学」の名のりに感じた小さな可能性は、いかなる意味でも、他の専門性を排除する力にやどるものではなかった。バラバラなものに見えた専門知も、深く掘り下げていくと、表層の分断が意味を持たなくなるような共有地に根ざしていることが感じられる。そうした経験はめずらしいことではない[11]。
また、東京大学大学院人文社会系研究科文化資源学研究専攻にて教鞭をとった渡辺裕も、以下のように指摘している[12][13]。
一方、木下直之は、文化資源学会での発表が多種多様であることについて「研究の深化を阻害しかねない」と述べつつ「そもそも文化資源学は、人文社会系の研究が専門分野ごとに細分化され、相互に没交渉となった現状を嫌い、多分野の連携と学際的であることを目指した以上、これは避けがたいジレンマでもある」と指摘している[5]。また、松田陽は「『文化資源学』に相当する言葉を使わずとも、歴史学、考古学、美術史学、建築史学といった既存の学問分野内では、文化資料体の資源化はすでにある程度行われてきた」と指摘し[9]、「いまだ眠った状態にある文化資料体を資源化するのが、文化資源学であろうと他の学問分野であろうと、さほど重要ではあるまい。『文化資源学』という言葉が使われずとも、世界の諸地域で文化資料体の資源化が様々なかたちで実現するのであれば、文化資源学の目的は達成されると考えるべきだろう」と述べている[10]。
文化資源という用語について
[編集]2000年以前は一般的ではなかった「文化資源」という用語について、小林真理は東京大学人文社会研究科文化資源学研究専攻の設立の経緯を踏まえつつ、以下のように指摘している[14]。
思い起こせば、2000年に文化資源学という看板を掲げたとき、文化資源という言葉はそれほど一般的な概念ではなかった。資源という言葉が持つニュアンス、文化と資源という言葉を組み合わせることによる戸惑い、活用を視野に入れた文化経営学コースの併設などへの違和感があったはずである。しかしながら、全国に設置された博物館などに集められた資料は、十分に整理・研究されていない状況もあったし、これらの施設の評価も課題になるようになっていた。専攻に所属する教員や学生は、文化資源学のそれぞれの対象をそれぞれの方法で表現してきた。専攻が開設された当初は、国の文化財保護制度などで指定・登録されて価値が定まったと考えられるものはあえて対象とすることをよしとしなかった。むしろ、価値の定まったものに対してもそれなりに批判的な目を向けつつ、その事物の原点に立ち返り、新たに価値を発見していこうとする気概に溢れていた。そこにこそ、文化資源を名乗る意義があった[14]。
そして、2002年の「文化資源学会設立趣意書」には「文化資源とは、ある時代の社会と文化を知るための手がかりとなる貴重な資料の総体」と記された[15]。だが、これについては異なる見解もあり、和崎光太郎は「2000年代からは文化伝達のための『資源』という用法が次第に広がり、『資源』の辞書的意味はそのままでもその意味が内包する価値が転換してきている」と指摘しつつ、自身が掲げる文化資源の定義について以下のように述べている[16]。
一般的な文化資源とは、過去・現在の文化を未来に伝える〈もの〉、つまり「文化を伝える資源」であろうが、私の定義は「文化を生み出す資源」を第一義に置いている。理由は、「資源で何かを伝える」というのがいまいちピンとこないのに対して、「資源で何かを生み出す」のは一般的に通じるというのもある。だがそれ以上に、何かを伝える・明らかにする手段である「資料」との違いが明確な概念によって〈もの〉を認識する必要性を痛感しているからである[16]。
また、佐藤健二は「文化」と「資源」という言葉の含む位相のズレを指摘しつつ、「資源化」のプロセスについて以下のように述べている[17]。
「資源」も「文化」も、それぞれに微妙な位相のズレを含み込んでいる。有用性を歴史的・社会的に規定している構造に対する、自覚的な枠組みの構築が、資源化のプロセスに必要である。(略)そうした構造をいかなる主体が設計し、いかなる力を有する主体が変革するか。その改革の力をささえている構造的な配置の解明もまた、文化資源学の課題である[17]。
ともあれ、「文化資源」という用語は広く使われるようになり、当初は意図していなかった文脈で使われる機会すらも増えたと言われている[18]。例えば、文化資源学会設立15周年を記念する2017年の論考で、会長の鈴木禎宏は以下のように指摘している[18]。
会員のみなさまのご活躍により、「文化資源」という言葉は一般化しつつあります。東京大学から始まった「文化資源」ですが、現在では複数の大学に「文化資源」を冠する教育プログラムが開設されています。また、地域振興などの文脈で「文化資源」が使用されることも珍しくありません。15年前に新鮮に響いた「文化資源」という言葉が徐々に耳慣れたものになってきたことは、学会の成果とも言えるでしょう。ただしその一方で、学会が意図していなかったような意味・用法・文脈で「文化資源」という言葉が使われることも、現実に起きています。
もちろん、学会内部における「文化資源」への理解も、一枚岩というわけではありません。学会には考古学、美術史学、民俗学、文学、建築学、音楽学、舞踊学、博物館学など、さまざまなバックグラウンドをもつ会員がおり、各人が「文化資源」に寄せる期待は多様です。こうした多様性は学会の活力の源ですが、ただし「文化資源」をめぐる理解が大きく揺らぐことは問題です。「文化資源学とは何か」を時折問うていくことは、学会として大事なことと言えます[18]。
また、文化資源学会の展望プロジェクト「文化資源の現在」を主導した堀内秀樹らも、「文化資源」という用語が当初意図したものとは異なる文脈で使用される実態について、以下のように報告している[19]。
少子高齢化が急速に進む今日の日本では、観光収入の拡充が国策レベルの優先課題となっており、文化財も観光振興のために活用される機会が急速に増えている。「文化資源」という言葉も、文化資源学会が元来意図していたものとは異なり、観光を中心とした経済振興のツールとして使われつつあることを確認した。このことの是非は単純には語れないが、プロジェクトの参加者の大半は、文化財や文化資源を経済利潤の獲得目的で語ることへの警戒感を表明していた。この問題は、文化資源学会が今後進むべき方向性とも大いに関わるものである[19]。
理論について
[編集]佐藤健二は文化資源学について「この学問の方法論の基本は、<ことば>(言葉)と<もの>(物)の双方から、<こと>(事)である文化事象を解明していくこと」と述べている[20]。一方、中村雄祐は2021年に「『20年も経ったのだから、そろそろ文化資源学らしい論文の型も確立されてきた』という話には落ち着きそうもない。なぜなら、文化資源学が接点を持つ諸分野も、学術と実務の関係も変化し続けているからである」と指摘している[21]。また、松田陽も同年、文化資源学の理論的視座について以下のように指摘している[22]。
資料の資源化を進める文化資源学が、一次資料の分析に立脚した研究を行うことは必然だと言える。それは文化資源学の本質と言っても良いかもしれない。しかし、個別の一次資料を丹念に分析しているだけでは、資料の属性を超えて一般化された議論を生み出せない。これからの文化資源学には、一次資料を分析した後、どのような理論的視座を採用することによって一般化された知見を生み出すかの考察が求められるように思える[22]。
他にも、ライアン・ホームバーグは「東大の文化資源学研究室に2年間も在籍したが、『文化資源学』とは何か、はっきりしない気持ちが強い」と述べ、以下のように指摘している[23]。
美術史や一般の文化史とどう違うのか。何故アーツマネジメントが混ざっているのか。このような『文化雑学』には、インターディシプリナリー・アプローチの強さもあれば、アマチュアイズムの弱さもある。フリーライターやキュレーターなら、そういう雑食性はメリットかもしれないが、アカデミック・ディシプリンには、ある程度、共通の視点やメソドロジーが必要だと思う[23]。
日本語圏以外での展開について
[編集]松田陽は2021年の論考にて「日本国内での使用頻度が着実に増えている『文化資源学』だが、その英訳として掲げられる『Cultural Resources Studies』は英語圏では使われていないに等しい」と指摘している[3]。
脚注
[編集]- ^ 木下 2004, p. 7.
- ^ a b c 木下 2004, p. 8.
- ^ a b c d e 松田 2021, p. 218.
- ^ 佐藤 2018, p. 76.
- ^ a b c d 木下 2004, p. 10.
- ^ 中村 2011, p. i.
- ^ 菅原 2022, p. 2.
- ^ a b 松田 2021, p. 219.
- ^ a b c 松田 2021, p. 221.
- ^ a b c 松田 2021, p. 222.
- ^ a b 佐藤 2018, p. 9.
- ^ a b 渡辺 2013, p. 22.
- ^ a b 渡辺 2013, p. 23.
- ^ a b 小林 2021, p. 8.
- ^ 和崎 2022, p. 95.
- ^ a b 和崎 2022, p. 86.
- ^ a b 佐藤 2018, p. 88.
- ^ a b c 鈴木 2017, p. 61.
- ^ a b 堀内ら 2019, p. 90.
- ^ 佐藤 2021, p. 50.
- ^ 中村 2021, p. 199.
- ^ a b 松田 2021, p. 223.
- ^ a b ホームバーグ 2021, p. 124.
参考文献
[編集]- 木下直之「文化資源学の現状と課題」『文化経済学』第4巻第2号、2004年、5-13頁、doi:10.11195/jace1998.4.2_5。
- 小林真理「序 文化資源学ーー文化の見つけかたと育てかた」『文化資源学 文化の見つけかたと育てかた』、新曜社、2021年、7-13頁、ISBN 978-4-7885-1743-1。
- 佐藤健二『文化資源学講義』東京大学出版会、2018年。ISBN 978-4-13-050195-8。
- 佐藤健二「文化資源学の作法ーー「個室」の成立と変貌に焦点をあてて」『文化資源学 文化の見つけかたと育てかた』、新曜社、2021年、50-66頁、ISBN 978-4-7885-1743-1。
- 鈴木禎宏「「文化資源学と私」 はじめに」『文化資源学』第15巻、2017年6月、61頁。
- 菅原真弓「巻頭言:『文化資源学ジャーナル』の創刊について」『文化資源学ジャーナル』第1巻、2022年、2頁、doi:10.24544/ocu.20220325-011。
- 中村慎一「『金沢大学文化資源学研究』の発刊に寄せて」『金沢大学文化資源学研究』第1巻、2011年3月24日、1頁。
- 中村雄祐「文化資源学における論文の型」『文化資源学 文化の見つけかたと育てかた』、新曜社、2021年、184-201頁、ISBN 978-4-7885-1743-1。
- ホームバーグ, ライアン「ベースの場ーー文化資源としての在日米軍基地」『文化資源学 文化の見つけかたと育てかた』、新曜社、2021年、117-127頁、ISBN 978-4-7885-1743-1。
- 堀内秀樹、鈴木禎宏、松田陽「展望プロジェクト「文化資源の現在」」『文化資源学会』第17巻、2019年6月、85-91頁。
- 松田陽「文化資源学の国際展開」『文化資源学 文化の見つけかたと育てかた』、新曜社、2021年、218-234頁、ISBN 978-4-7885-1743-1。
- 和崎光太郎「学校の文化資源 概念化と有用性」『文化資源学』第20巻、2022年6月、86-98頁。
- 渡辺裕『サウンドとメディアの文化資源学 境界線上の音楽』春秋社、2013年。ISBN 978-4-393-33294-8。