教会領長崎
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教会領長崎(きょうかいりょうながさき)は、1580年(天正8年)から1587年(天正15年)まで、イエズス会によって統治されていた時代の長崎。
概要
[編集]キリシタン大名だった大村純忠は、日本の寄港地を探していたポルトガル人の希望に応じて、1571年(元亀2年)に長崎を開港地とした[1]。天然の良港だった長崎はポルトガルの寄港地として定着する一方、純忠は周辺大名からの圧迫に苦しむ立場だった[2]。南蛮貿易を保持する目的で、純忠はイエズス会巡察使だったアレッサンドロ・ヴァリニャーノに対して、長崎を同じく領内の茂木とともに会に寄進することを申し出た[2]。これにより長崎の司法権・行政権はイエズス会が持つことになった[2]。
しかし、豊臣秀吉が九州を支配下に収めると、長崎の統治権を没収し、イエズス会による統治は終了した[1]。
教会領時代の長崎市民の生活
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脚注
[編集]- ^ a b 大村純忠と南蛮貿易 - 大村市
- ^ a b c 大村純忠による苦肉の策!?なぜ長崎はイエズス会領になったのか? (2/2ページ) - まっぷるトラベルガイド(2024年1月26日)2024年7月12日閲覧。
関連文献
[編集]- 安野眞幸『教会領長崎 イエズス会と日本』講談社〈講談社選書メチエ〉、2014年6月11日。ISBN 978-4-06-258579-8。
- 小西瑞恵「自治都市長崎の歴史的位置 安野眞幸氏の研究を中心に」『大阪樟蔭女子大学学芸学部論集』第45号、大阪樟蔭女子大学、2008年1月31日、233-246頁。