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撃ちてし止まむ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「撃ちてし止まむ」の幟を掲げて行われる防空演習(1943年)

撃ちてし止まむ(うちてしやまん[1][2]現代仮名遣いでは撃ちてし止まん)は、太平洋戦争中の大日本帝国で、戦意高揚のために多用されたスローガンの一つ[1][2]

古事記』に登場する、戦いの勝利を祈願する[1]久米歌に由来し、近代以降の日本語に訳すと、「(敵を)撃って戦いを止める」となり、即ち「敵を撃つまで戦いを止めない」という意味となる。

原典

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『古事記』中つ巻に、東征した神武天皇が八十建那賀須泥毘古を征伐する際に、戦意を鼓舞するために歌った久米歌の一節として登場する。

八十梟帥征伐の久米歌
原文 書き下し[注 1] 現代語訳
意佐賀能
意富牟廬夜爾
比登佐波爾
岐伊理袁理
比登佐波爾
伊理袁理登母
美都美都斯
久米能古賀
久夫都都伊
伊斯都都伊母知
宇知弖斯夜麻牟
美都美都斯
久米能古良賀
久夫都都伊
伊斯都都伊母知
伊麻宇多婆余良斯
忍坂(おさか)の
大室屋に
人多(さお)に
来(き)入り居り
人多に
入り居りとも
みつみつし
久米(くめ)の子
頭椎 (くぶつつ) い
石椎 (いしつつ) い持ち
撃ちてし止まむ
みつみつし
久米の子等が
頭椎い
石椎いもち
今撃たば善(よ)らし
忍坂の
大きな土室に
大勢の人が
入り込んだ
よしや大勢の人が
はいつていても
威勢のよい
久米の人々が
瘤大刀の
石大刀でもつて
やつつけてしまうぞ
威勢のよい
久米の人々が
瘤大刀の
石大刀でもつて
そら今撃つがよいぞ
長髄彦征伐の久米歌
原文 書き下し 現代語訳
美都美都斯
久米能古良賀
阿波布爾波
賀美良比登母登
曾泥賀母登
曾泥米都那藝弖
宇知弖志夜麻牟
みつみつし
久米の子等(こら)が
粟生(あわう)には
臭韮(かみら)一本(ひともと)
そねが本
そね芽繋ぎて
撃ちてし止まむ
威勢のよい
久米の人々の
アワの畑には
臭いニラ
一本生えている
その根のもとに
その芽をくつつけて
やつつけてしまうぞ
美都美都斯
久米能古良賀
加岐母登爾
宇惠志波士加美
久知比比久
和禮波和須禮志
宇知弖志夜麻牟
みつみつし
久米の子等が
垣下(かきもと)に
植ゑし薑(はじかみ)
口ひひく
吾は忘れじ
撃ちてし止まむ
威勢のよい
久米の人々の
垣本に
植えたサンショウ
口がひりひりして
恨みを忘れかねる
やつつけてしまうぞ
加牟加是能
伊勢能宇美能
意斐志爾
波比母登富呂布
志多陀美能
伊波比母登富理
宇知弖志夜麻牟
神風
伊勢の海の
大石(おいし)に
はひもとろふ
細螺(しただみ)の
這ひもとろふ
撃ちてし止まむ
神風の吹く
伊勢の海の
大きな石に
這い𢌞[注 2](まわ)つている
細螺のように
這い𢌞つて
やつつけてしまうぞ

近代

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『写真週報』第262号(昭和18年3月10日号)
1943年(昭和18年)3月10日に東京で行われた陸軍記念日記念行進。右奥の朝日新聞東京本社(現・有楽町マリオン)に「撃ちてし止まむ」の幕が張られ、左の日本劇場に「撃ちてし止まむ」と書かれた壁画が掲げられている。
楠木正成像と共に「撃ちてしやまむ!」の標語を掲げた雑誌『富士』(元『キング』)昭和18年3月号

1942年(昭和17年)4月に発売された『空の神兵』には、「撃ちてし止まぬ大和魂(だま)」とある。

1943年昭和18年)に入ると、戦意高揚のプロパガンダの一環として、「撃ちてし止まむ」が用いられるようになった。情報局が発行した雑誌『週報』333号(昭和18年3月3日発行)は、「撃ちてし止まむ」の意味と意義について、1ページを割いて解説した[3]

大東亜戦争を戦ひ抜く一億の決意を示す言葉として「撃ちてし止まむ」の合言葉が用ひられてゐますが、「撃ちてし止まむ」とは結局「撃たずば止まじ」すなはち殲滅しなければ止まないといふ意味です。
(中略)
一たび皇師を動かし給うた以上、たゞ敵米英の撃滅あるのみであります。皇民すべからく灼熱の火となつて米英を倒すまで戦つて戦つて戦ひ抜くべきであります。
(中略)
そして、「撃ちてし止まむ」の精神は、単に前線だけではなく銃後の生産戦に、総力戦に、一億国民の悉くに、今こそ「撃ちてし止まむ」の烈々たる気魄が要請されるのであります。
-『週報』第三三三号 P.23

同じく情報局が発行していたグラフ雑誌『写真週報』昭和18年3月10日号は、「撃ちてし止まむ」を題材に、戦地や生産現場、銃後の様子を特集した [4]

撃ちてし止まむ
撃ちてし止まむ
撃ちてし止まむ
-「時の立札」 『写真週報』第二六二号 表紙見返し

出版社が発行していた一般の雑誌でも、『富士』や『少年倶楽部』(昭和18年3月号)、『婦人公論』(昭和19年3月号)などの表紙にあしらわれた。映画の冒頭に掲示されるスローガンも、それまでの「忠魂へ遺族援護の捧げ銃」から「撃ちてし止まむ」に変更された。

3月10日の第38回陸軍記念日のポスターには、星条旗ユニオンジャックを踏む陸軍兵士と戦車に、「撃ちてし止まむ」と描かれた(画:宮本三郎)。陸軍省はこのポスターを5万枚作成し、2月23日に全国に配布して3月10日に一斉に掲示するよう指示した。東京の日本劇場外壁には、銃を構える兵士と手榴弾を投げる兵士の写真(撮影:金丸重嶺)に「撃ちてし止まむ」と書かれた壁画が掲げられ、陸軍記念日当日には、壁画の前で軍楽隊によって『愛国行進曲』が演奏された。

詩人の杉浦伊作は、1943年に『撃ちてし止まむ』と題する詩集を発表した。同名の詩や神武天皇の御製、高村光太郎による詩序が収録されている。

脚注

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  1. ^ 書き下しと現代語訳の出典は、武田祐吉校注・翻訳『古事記角川文庫 角川書店 1956年初版
  2. ^ 「𢌞」は「廻」の異体字

出典

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  1. ^ a b c 故事成語を知る辞典『撃ちてし止まん』 - コトバンク
  2. ^ a b 打ちてし止まん(うちてしやまん) の意味 - goo国語辞書”. 2022年3月29日閲覧。
  3. ^ 週報 第333号”. 2022年4月24日閲覧。 P.23
  4. ^ 写真週報 262号”. 2022年4月24日閲覧。 P.23

関連項目

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