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摩利支天塚古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
摩利支天塚古墳

墳丘(右に前方部、左奥に後円部)
所在地 栃木県小山市大字飯塚
位置 北緯36度22分20.39秒 東経139度48分21.31秒 / 北緯36.3723306度 東経139.8059194度 / 36.3723306; 139.8059194 (摩利支天塚古墳)座標: 北緯36度22分20.39秒 東経139度48分21.31秒 / 北緯36.3723306度 東経139.8059194度 / 36.3723306; 139.8059194 (摩利支天塚古墳)
形状 前方後円墳(剣菱型)
規模 墳丘長117m
埋葬施設 不明
出土品 円筒埴輪
築造時期 5世紀
被葬者 不明
史跡 国の史跡「摩利支天塚古墳」
特記事項 栃木県第3位の規模
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摩利支天塚古墳の位置(栃木県内)
摩利支天塚 ・琵琶塚
摩利支天塚
琵琶塚
栃木県内の主要古墳
全ての座標を示した地図 - OSM
全座標を出力 - KML

摩利支天塚古墳(まりしてんづかこふん)は、栃木県小山市飯塚にある古墳。形状は前方後円墳。国の史跡に指定されている。

栃木県では第3位の規模の古墳で[1]5世紀末(古墳時代中期)の築造とされる。

概要

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栃木県南部、思川姿川に挟まれた台地上に築かれた古墳である。古墳は前方部を南西に向ける。墳丘は自然の微高地を利用して築かれており、墳丘上には円筒埴輪が列をなして存在している[2]。築造時期については、古墳の形状や出土埴輪から5世紀末とされる[1]

本古墳の北方には同じく大規模古墳である琵琶塚古墳があり、ともに下毛野地域を代表する首長墓とされる[3]。両古墳築造後も、思川・姿川間の台地の北方では「下野型古墳」と呼ばれる独特の前方後円墳群が営まれていった[3]

古墳域は1978年昭和53年)7月21日に国の史跡に指定され、2002年平成14年)9月20日に史跡範囲が追加指定された[4]

墳丘

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墳丘の規模は次の通り[5]

  • 墳丘長:約117メートル
  • 後円部 - 2段築成。
    • 直径:約70メートル
    • 高さ:約10メートル
  • 前方部 - 2段築成。中央が尖る剣菱形。
    • 幅:約75メートル
    • 高さ:約7メートル

墳丘の周りには幅約20メートルの周堀が巡らされ、一部は二重である[1]

文化財

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国の史跡

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  • 摩利支天塚古墳 - 1978年(昭和53年)7月21日指定、2002年(平成14年)9月20日に史跡範囲の追加指定[6]

周辺の古墳

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琵琶塚古墳(右手前)と摩利支天塚古墳(左後方)

思川・姿川間の台地上には6世紀から7世紀にかけて多数の大規模古墳が築造されており、これらは当地の歴代在地首長墓とされる[7]。主な古墳には次のものがある。

なお、律令制下に入っても当地一帯は下毛野国(のち下野国)の中心部をなしており、付近には下野国府下野国分寺が営まれた。

関連施設

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  • 国史跡 摩利支天塚・琵琶塚古墳資料館(小山市飯塚) - 摩利支天塚古墳の出土品等を保管・展示。

脚注

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  1. ^ a b c 摩利支天塚古墳(栃木県教育委員会事務局文化財課「とちぎの文化財」)。
  2. ^ 史跡説明板。
  3. ^ a b 『栃木県の歴史』(山川出版社)p. 43-45。
  4. ^ 国史跡文化財等データベース
  5. ^ 規模の記載は史跡説明板、摩利支天塚古墳(栃木県教育委員会事務局文化財課「とちぎの文化財」)による。
  6. ^ 摩利支天塚古墳 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  7. ^ 吾妻古墳、平成22年1月17日現地説明会資料 (PDF) (栃木県埋蔵文化財センター)。
  8. ^ 琵琶塚古墳(栃木県教育委員会事務局文化財課「とちぎの文化財」)。
  9. ^ 吾妻古墳(栃木県教育委員会事務局文化財課「とちぎの文化財」)。

参考文献

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(記事執筆に使用した文献)

  • 史跡説明板(栃木県教育委員会設置)
  • 摩利支天塚古墳」『国指定史跡ガイド』講談社  - リンクは朝日新聞社「コトバンク」。

関連文献

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(記事執筆に使用していない関連文献)

関連項目

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外部リンク

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