按察使局伊勢
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按察使局伊勢(あぜちのつぼねいせ、生没年不詳)は、平安時代の女性。平時子、建春門院、建礼門院に仕えた。
経歴
[編集]父は藤原公通。出自については諸説あり、大和石上神社祠官の娘とも伝わる。また、幕末の真木保臣は末裔と伝える。
はじめ、時子に仕え、後に徳子の入内に従った。寿永4年(1185年)の壇ノ浦の戦いでは時子らに従い入水するが、源氏に生け捕りにされる。千歳川のほとりの鷺野ヶ原に移住した。吾妻鏡にはこの按察使局が安徳天皇を抱いて入水したとある。 その後は剃髪し、千代と号し、平家一門の菩提を弔った。また、村人たちから慕われ尼御前と呼ばれていた。村人には加持祈祷を行っていた。その社は尼御前神社と呼ばれ、水天宮の由来となった。晩年、平知盛の次男・平知時の四男・平右忠を肥後国から迎え、養子とする。
現在は、千代松神社に祀られている。
伝説
[編集]文禄2年(1593年)に書かれた『天御前伝』によれば、尼になった後のある夜、夢の中で筑後川に入り、水底にある水天宮で平家一門に会い、水難避けの符として今日に伝わる「五文字の神符」を受けたという[1]。当時、筑後川・巨瀬川流域には不可思議な災難が多発していたが、千代尼が配布した神符の霊験によって災難は治まった。そのことから、千代尼は民衆から尼御前と呼ばれ慕われるようになり、118歳まで生きたという[1]。
出典
[編集]- ^ a b 山中耕作、谷川健一(編)『1・九州』 <日本の神々:神社と聖地> 白水社 2000年第2刷 、ISBN 4-560-02501-0 pp.216-224.
参考文献
[編集]- 万有百科大事典 第4巻
- 東京年中行事 第106巻
- 神道史大辞典
- 久留米市史 第6巻