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持明院基久

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
持明院基久
時代 安土桃山時代 - 江戸時代初期
生誕 天正12年(1584年
死没 慶長20年5月7日1615年6月3日
官位 従四位上左近衛権中将
主君 豊臣秀頼
氏族 正親町家持明院家
父母 父:正親町季秀、養父:持明院基孝
兄弟 正親町季康正親町季俊裏辻季福基久、養兄弟:基子
基征河鰭基秀[1]富小路頼直[2]持明院基定
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持明院 基久(じみょういん もとひさ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての公家官位従四位上左近衛権中将

経歴

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権大納言正親町季秀の子として誕生。権中納言持明院基孝の養子となる。養妹に基子[3]がいる。

公家の身分でありながら、子・基征と共に大坂の陣に参加し大坂城に入城し、最終決戦の天王寺・岡山の戦いで戦死した。また一説には落ち延びたが同年5月28日に没したともいわれている。

高家旗本大沢基宿の次男・基定が基久の娘の婿となり、名跡を継ぐことを許された。

脚注

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  1. ^ 河鰭公虎のちの西洞院時慶養子
  2. ^ 富小路秀直養子
  3. ^ 後陽成天皇典侍、了性院