拾翠亭
拾翠亭 Shusui-tei | |
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茶室の主屋(左)と四阿(腰掛待合)(右) | |
情報 | |
旧名称 | 九条家別邸[1] |
用途 | 茶室 |
旧用途 | 旧九条家の茶室・別邸 |
管理運営 | 環境省 |
構造形式 | 木造、瓦葺、一部柿葺、2階建て(数寄屋風書院造り) |
建築面積 |
(拾翠亭)103.4㎡ (四阿)4 m² |
状態 | 一般公開(復原保存) |
階数 | 2 |
竣工 |
江戸時代後期寛政年間 (1789年 - 1801年) |
所在地 |
〒602-0881 日本 京都府京都市上京区京都御苑3 |
座標 | 北緯35度01分04.0秒 東経135度45分42.3秒 / 北緯35.017778度 東経135.761750度座標: 北緯35度01分04.0秒 東経135度45分42.3秒 / 北緯35.017778度 東経135.761750度 |
備考 |
入場料:300円(高校生以上) 参観日:毎週木曜日、金曜日、土曜日(年末年始を除く)葵祭、時代祭[2]。 |
拾翠亭(しゅうすいてい)は、京都府京都市上京区の京都御苑内にある茶室である。江戸時代後期に、五摂家の一つであった九条家の茶会や歌会などに用いる別邸として建てられた。九条家の屋敷建物で、唯一現存する建物である。
概要
[編集]江戸時代後期の寛政年間(1789年 - 1801年)に、五摂家の一つであった九条家の屋敷内に茶会や歌会用の別邸として建てられた[3][4][5]。
拾翠とは「翠(みどり=緑→緑の草花)を拾い集める」との意味で、平安時代の貴族が新春に草花を摘んだ風習に由来する言葉とされる[5]。また近接する九條池に生息していた「翠(かわせみ)」にも因んで名付けられたともされる[5]。
木造、瓦葺、一部柿葺、2階建ての数寄屋風書院造りで、建築面積は103.4平方メートル、1階に玄関・控えの間(7畳半)・広間(10畳、茶室として使用可能)・小間(茶室3畳中板)・広縁(北・東面)・水屋(南面)、2階に座敷(2間半×2間半=12畳)がある[3][6][5]。北・東面の九條池、その奥の東山を借景とする景色が楽しめる様になっていた[4]。
明治時代の東京奠都の後には、当亭と四阿(腰掛待合)建築面積は4.0平方メートルを含む付近の公家屋敷一帯が京都御苑として整備され[7]、九条家の屋敷建物では、唯一現存する建物となった[3]。現在では参観目的で一般公開されているほか、茶会や句会にも利用されている[3]。
アメリカ合衆国の日本庭園・日本建築の隔月刊雑誌「Sukiya Living Magazine (The Journal of Japanese Gardening)」の「しおさいプロジェクト」が選定する日本庭園ランキング「数寄屋生活空間」において、2007年は23位、2008年は38位に選出された[8]。
2021年4月から2022年3月にかけて、約20年ぶりの改修修繕工事が行われた[3][6][9]。
脚注
[編集]- ^ “京都御苑 拾翠亭 - 官庁営繕”. 国土交通省. 2000年1月21日閲覧。
- ^ “施設利用・入苑案内”. 環境省. 2022年3月30日閲覧。
- ^ a b c d e “歴史にふれる>拾翠亭”. 京都御苑. 国民公園協会. 2021年3月27日閲覧。
- ^ a b “九條池と拾翠亭”. 京都御苑. 環境省. 2021年3月27日閲覧。
- ^ a b c d “[https://kyotofukoh.jp/report1618.html 拾翠亭]”. 京都風光(京都寺社案内). 2021年3月27日閲覧。
- ^ a b 建設経済新聞社 (2020年7月6日). “【京都】京都御苑の拾翠亭保存修復 庭園等も含め約2.1億円”. 地方建設専門紙の会. 2021年3月27日閲覧。
- ^ “京都御苑について”. 京都御苑. 国民公園協会. 2021年3月27日閲覧。
- ^ “日本庭園全国ランキング2003-2020”. しおさいプロジェクト. Sukiya Living Magazine & Tours. 2021年3月27日閲覧。
- ^ “一般財団法人国民公園協会 京都御苑「閑院宮邸跡収納展示館」及び「拾翠亭」リニューアルについて”. 一般財団法人国民公園協会 京都御苑. 2022年3月22日閲覧。