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拓跋 子推(たくばつ しすい、生年不詳 - 477年)は、北魏の皇族。京兆康王。
拓跋晃と尉椒房のあいだの子として生まれた。459年(太安5年)4月、京兆王に封じられた。侍中・征南大将軍・長安鎮都大将に任じられた。入朝して中都大官となり、刑事裁判に手腕をふるった。献文帝は帝位を子推に譲ろうと考えたが、大臣が強く諫めたため、孝文帝に帝位を譲った。477年(太和元年)、侍中・開府儀同三司・青州刺史に任じられ、赴任する途中で死去した。
- 『魏書』巻19上 列伝第7上
- 『北史』巻17 列伝第5