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拓跋 処真(たくばつ しょしん、生年不詳 - 447年)は、北魏の皇族。扶風公。
拓跋翳槐の末裔にあたる。殿中尚書に任じられ、扶風公の爵位を受けた。445年(太平真君6年)、平陽公慕容嵩とともに2万騎を率いて薛永宗を討った。447年(太平真君8年)、吐京胡の曹僕渾らが北魏にそむくと、拓跋処真は高涼王拓跋那らともに反乱を討ち滅ぼした。6月、軍資の横領と略奪品の贓匿の罪を問われて、処刑された。
- 『魏書』巻14 列伝第2
- 『北史』巻15 列伝第3